中世前期、ヴァイキング時代のポーチ
中世前期、ヴァイキング時代と呼ばれる9-11世紀の、身の回り品をしまう革のポーチはとはどんなものだったのでしょう?スカンジナビア固有のものは私の知る限りみたことがありません。
しかし、海外の歴史再現家が「ヴァイキング ポーチ」や「ビルカのポーチ」と呼ぶ、一連の形状をしたポーチがあります。
ヴァイキングの商業都市ビルカから?
おそらく最も良く目にするのはベルトループから続く長いストラップを持ち、しずくの上半分を切った様な形のフラップに、装飾金具がたくさん付いた通称「ビルカのポーチ」と呼ばれるものではないでしょうか?
(通称ビルカのポーチと呼ばれる10世紀頃の発掘品)
ビルカはスウェーデンにあったヴァイキングの時代に栄えた商業都市ですが、実際の発掘品は同じスウェーデンのイェムトランドというところでみつかってる様です。
詳しくはわかりませんが、ビルカで見つかったものは損傷が激しかったため、イェムトランドで見つかった同様のパーツを使っているとかなんとか。
とにかく、発見されたポーチは部分的なため、おそらく幾つかの思案がなされた様です。
(別の配置案、若干無理がある?)
では何故しずくを半分に切った様な形でまとまったのでしょう?
おそらくこの形状のポーチが、他のヴァイキング遺跡からも複数見つかっているからだと思われます。
(通称ビルカのポーチと呼ばれているものの複製)
東欧スタイルを取り入れた北欧ヴァイキング
この様な装飾品は、それこそビルカの遺跡からたくさん見つかっていますが、10世紀以降のビルカ遺跡では、北ロシアからの遺物だとみられる発掘品が多数見つかっています。
こういった品はスカンジナビアのスタイルというよりむしろ、ルーシ (東欧、スラヴのヴァイキングたち) のスタイルでした。
(スウェーデンのビルカで発掘された東欧スタイルの装飾)
そもそも現在のベラルーシ、ロシア、ウクライナなどのスラヴ世界は、スカンジナビアのヴァイキングたちにとって、東ローマ帝国ビザンティンまでの中継地点で、人やものが当然頻繁に往き来していましたし、10世紀のスラヴ世界には強大なヴァイキング国家がありました。
参考記事:「北欧と東欧のヴァイキング」
スカンジナビアで見つかったものは、スラヴ地域から入ってきたものか、もしくは持ち帰ったものとみて間違いはないでしょう。
(ウクライナ、キエフの近くにあるチェルニゴフのヴァイキング遺跡で見つかったポーチ)
ポーチはどんな用途に使われる?
この様なポーチが多く見つかっているスラヴの地域ではどの様な人たちが、どういう目的で使っていたのでしょう?
(ウクライナのシェストーヴィツァで見つかった10世紀頃のポーチ複製)
貨幣や貴重品を入れる財布代わりだったという見方もありますが、実際墓から見つかったポーチの中身は火打ち石や火着け道具、小さな道具だった様で、火着け道具だけが遺体の近くにあった場合にも、朽ちたポーチが周りに散らばっているケースがあるため、おそらくは主に「火付け道具と小物入れ」であったと推測されます。
当時火を着けるのは男性の仕事 (火を消すのは女性の仕事) だった様で、それを裏付けるかの様にポーチは全て男性の墓から見つかっているといいます。
東欧では後の時代まで形をかえてこういった装飾ポーチが軍隊で使われましたが、主に財布や火薬入れとして使われたそうです。
公の護衛隊ドルジーナ
当時スラヴの公 (統治者) はスラヴ語で兄弟愛を意味する、「ドルジーナ」と呼ばれる軍隊を持っていました。
数百人単位の専門職の戦士たちで、スラヴの部族だけではなくスカンジナビアのヴァイキングやテュルク系の民族、ハンガリーのマジャール人など様々な人たちで構成されており、これらのポーチのいくつかは、そのドルジーナたちの墓から見つかっているそうです。
(現ウクライナのチェルニーヒウで見つかった10世紀頃のポーチ複製)
ポーチの起源は
スカンジナビアのヴァイキングの墓にも眠る、この形状のポーチの源流は、どうやらハンガリーのマジャール人たちの持ち物だった様です。
(ハンガリーのポーチ)
フラップに銅や銀を彫刻したプレートが付いており、おそらく氏族などを表す紋章の様なものが刻まれていた様で、研究ではこの図案を見て相手の所属や階級がある程度判断出来たものと見られています。
ハンガリーではタルソリーと呼ばれ、現在でも工芸品として作られています。
のちの15世紀ハンガリーやポーランドで活躍した有翼重騎兵フサリア (ユザール) にも、同様の装飾ポーチが受け継がれていた様です。
火薬入れや財布として使われていたようです。
(スウェーデンのビルカで見つかった10世紀頃のポーチ複製)
このように全面彫刻のプレートがついたものと、断片的な装飾品で飾られたものがあり、違いについてはよくわかっていませんが、それなりに位の高い人物が着用していたとみて間違いなさそうです。
ハンガリーに端を発するこのポーチがスウェーデンのヴァイキングの遺跡から見つかっているのは、驚くべきことでも不思議な事でもありません。
それだけ東欧と北欧の間は、当然の様に頻繁に人とモノが往き来していたという事です。
おそらくスカンジナビアのヴァイキングたちの中にも、このエキゾチックなポーチを欲しがったひとや、身に付けていた人がたくさんいたことでしょう。
しかし、これらのポーチは殆どの場合革で作られていたため (織物の生地で作られていたものもあったようです)、残念ながら千年後の現代までコンディションを保っているものはありません。
私はこのようなハンガリーに起源をもつヴァイキング時代のポーチに熱く惹かれ、作る機会を得て遠くスウェーデンをはじめ、主に海外のお客さんに買っていただいておりました。
(ウルフバート トーキョーの全身、2014年頃に作っていたプレーンなポーチ)
そして現在もまだ熱が冷めず作り続けており、現在はウルフバート トーキョーのオンラインshopだけでなく、日本ヴァイキング協会が主催する「ヴァイキングマーケット」、さらに東急ハンズ池袋店で行われた特別展「ヴァイキングライフ」や、英国パブ The Old Arrowで行われた「メディーヴァル マーケット」などに出品し、主に国内向けに制作をしております。
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【ウルフバート トーキョー】
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