時速300kmのバックファイア
奥飛騨に、ちょくちょく前職の先輩・同期が遊びに来てくれている。先週の4連休は新たに後輩も来てくれた。朋あり遠方より来る。
そんな彼の話を、ひとつしたためたい。
”真に聡い”とはどういうことか
腕相撲で相手が自分よりも強いかどうかは、腕を組んだ瞬間に分かる。
同じことが、コンサルティング業界での「頭の良さ」にも言える気がする。それは議論。特定のテーマについて、10分程度も交わせば何となく分かってしまうもの。
彼の”対象全体”の捉え方、要素への切り分け、それらの関連性の仮説やその検証の作法は、さながらサイエンティストの風格が伴う。
背後にそびえる体系化された知の山脈は青黒く先が見えず、意見する際は、何かを見通したような、事実とロジックで組み上げた仕組みの提示がある。
そもそもの議論の土台となる地盤が固く、視座が高いのだ。誤解を恐れずに言えば、南アフリカのケープタウンにあるテーブルマウンテンと喋っているようなものである。
つまり彼は、巨人の肩の上にいる。
僕が無人島の漂流者の如く、おっかなびっくり未知の海岸で目の前のものを触ってみたり、匂いを嗅いで一体これは何だろな、とやってる段階で、彼は大まかな島の地図と生態系を眺めている。
いざ、この島について、議論がなされるとしよう。
一体どこから。彼の提示する島の地図と生態系に、感嘆しつつも、はてな。さっきの海岸で見つけたアレは、この構造には必ずしもそぐわないような気がするナ。
ほないっちょと「こんなものもあったんやけど」と差し出す、反例の一撃。これが僕の精一杯である。
・・・
すると、彼はそのちょっと”変わったこと”に対しても、自論にこだわらず、事実は事実としてフェアに、何なら好奇心を持って眺め、透徹したロジックで精査する。
その結果、仕組みの一部の仮説は棄却更新され、その"変わった"事実にも、全体と整合するパスが通り、地図や生態系の正確さが増す。
真に”頭が良い”人の思考のお作法を見るかのよう。そこにはある種の「潔癖」があって、それは”正しさ”に対する誠実さである。
これだけ賢いと、いかんせんその表現は、難しすぎてわからなかったりするもんじゃないの、と思われるだろうか。さにあらず。議論を通じ一貫して、彼の説明は抜けもなければ飛びもなく、いつも端的で分かりやすい。
「要はこういうことじゃないですか?」これがパシッと決まる。
まるでレベルが違うのだ。これがイニエスタを見たときのチャビの心境か。いや、チャゴ・モッタのそれか。どっちでもいいか。とりあえず、ちょっとした年齢とか年次の差なんてものは全く問題にならないことだけは言える。
どこかの早めの段階で、僕はこのひとつ下の代で入社した彼と張り合うことを諦めた。
高速道路を100km/hで走っていたオレ達を 奴は300km/hで楽々追い抜いていった…そんな感じさ
この1年のオレ達の努力は… 奴にしてみれば何もしていなかったも同然だったってわけだ
ハンター試験は今年限りにするよ そんなリピーターが多いはずだぜ 今年はな…
『Hunter×Hunter』のアモリ兄弟のセリフが沁みる。
当時「知的体力のなさは純粋な体力でカバーしよう」という浅め浅めの作戦でやってた僕にとって、彼は燦然と現れた「持って生まれたスター」であった。そう見えた。
素直にかっこよかった。その圧倒的な才能は、もはや憧れ、尊敬に値した。何なら見せびらかしたいぐらいであった。ちょっとウチにすごい後輩がいるんだよね、と。
さて、そんな彼が、奥飛騨に遊びに来た。
お気づきかもしれないが、ここまでの話は長めの自慢であった。すごい子、来たよという。
もうちょっとだけ褒めさせて
彼はトントン拍子で進捗する。
僕が、上司もドン引きの20数連休を有給で取得し、ブラジルW杯を見に行った2014年の夏。うっかり立ち入った、人の少ない昼時の公園みたいな場所でファベーラのガキ集団に絡まれ、iPhoneを奪われていたのと同じ頃。
入社2年目の彼は、学生時代から付き合っていた彼女と、地元の横浜で結婚した。とても早い。
それからさらに2年程が経ち、僕が離職する少し前。
対面のデスクに座っていた彼の机の上には、嫁と子供の写真があったような気がする。第一子誕生。仕事面でスーパーだった彼は、着々と温かな家庭を築いていた。すこぶる快調である。
そんな2016年夏から、気づけばさらにもう4年が経った。橋の下には沢山の水が流れ、ヤドカリはアドレスを沢山ホッピングした。
この4年間。僕が未婚の35歳という不穏な空気を纏ったフリーランスになった一方、彼は考えうる最速のスピードで昇進し、家も買ったり売ったりし、えらい立場もしっかり経験して、同業界で転職を果たし、いつの間にか二人目も生まれて、今や2児のパパである。
これが時速300kmの世界か。
***
「お招き頂き、ありがとうございます!」
久しぶりの再会の出合い頭から、相変わらずのきちんと感。能力がどれだけ高かろうと、ちょこっと先に生まれただけの先輩を舐めることのない、この態度。パーフェクトヒューマンのお目見えである。
おー、よくぞおいでなすった、とお迎えしての2泊3日。実はプライベートで絡むのは入社以来初めてのこと。職業人としての彼ではなく、初めて家庭人としての彼を見る日々であった。
揺れるテーブル
「職業人」としての、彼の仕事っぷりは”完璧”という言葉が似つかわしい。
視座が高く、ゲームの全体を掌握しているように試合を運ぶイニエスタとよく似ている。
動きの一つ一つが先を見越して意味があり、行き戻りの無駄がない。効果的に周りの人を巻き込んで、質の高い連携を見せるかと思えば、ここぞという時は個の力で局面の打開も出来る。最終的にいつもレベルの高いデリバリーを実現する。この一連が極めてスムーズである。
言ってるだけで気持ちがいい。
他方「家庭人」としての彼について、ふとしたタイミングで、お嫁さんが「そんなに立派な人じゃないですYo」みたいなことをおっしゃった。
うちのパーフェクトヒューマンが、うちのテーブルマウンテンが、と一座は少し慌てたが、よく考えたら家庭における野原ひろしのことは、野原みさえが一番よく知っているので、どういうことなのかと聞いてみる。
ストレスを感じるポイントがちがう
体が強くなくて、よく体調を崩します。───マジか。見たことないな。
割とキツいことも言います。───本当か。聞いたことないな。
私も返しますけれど。───はい。そりゃあもう是非。
一部うろ覚えだが、そんなことを聞いた気がする。最後のやつは言ってなかったかもしれない。すいません。
そんな話の拍子だったかは忘れたが、彼女が教えてくれた中で、僕にとって印象的だったのは、彼がこの奥飛騨で感じていたストレスが「自分の子供をきちんと叱れないこと」だったらしきこと。
◇
その理由は、同じタイミングで来ていた他の先輩の育児が超自由(子供のわがままのほぼ無条件受け入れ)だったのに対し、彼の育児は躾重視(子供のわがままの抑制と制御)であったことに起因する。
この異なる親を持つ二人の子供が、一緒に遊んで、同じわがままや、悪しき振る舞いをするに及び、割と看過しがちな先輩に対して、「躾を重んじる家庭人の彼」と「フェアさを尊重する職業人の彼」と「先輩を尊重する後輩としての彼」の間での衝突が起きたのだと思われる。
次元の高い、時速300kmの衝突である。
僕なら、しゃーないしゃーない、まぁいっか。と流してしまいそうなところ。ストレスを感じるポイントがちがうのだ。
その人を知りたければその人が何に対して怒りを感じるかを知れ
『Hunter×Hunter』のミトさんのセリフである。
怒りとストレスでは差はあるけれど、根っこの部分で「こうありたい、こうあるべき」と「現実」との差にくすぶる感情があって、その不快の度合い、許せない度合いの火力の差で、怒りが強火、ストレスは弱火と考えられなくもない。
***
ここからは全くの憶測に過ぎないが「状況を把握しコントロールすること」に対し、彼の中で強いこだわりがあるのではないかと思う。それができない場合にはストレスになる。秩序や理性に対する信頼があり、無秩序や無制御な本能に対する嫌悪がある。
これまで僕はその才能に惚れるばかりで「賢い彼がなぜそんなに賢いのか」をきちんと考えたことがなかった。
憶測に憶測を重ねて妄想の域に到達するが、もしかすると彼は、これまで彼自身の課題や不足を乗り越えるため、物事を深く理解し、自己を制御し、状況を正しくコントロールする力を身につけるべく、ひたすらに理性を高める自己鍛錬を重ねてきた人なんじゃないかしら。
だからこそ、その原体験や成功体験を元に、子供に対しても躾を重視する、みたいな。
──体が強くなくて、よく体調を崩します。
仕事では見せたことない側面が、家では出てくる。知らないところで無理を押している。
例えば、ふとした会話の拍子に、この4連休を完全に休めるように、前日は徹夜で仕事をしたとかいう話もチラと出てくる(その翌日、彼は渋滞にもハマりつつ7時間車を運転して来る)
ここでの最終日にも、何キッカケかわからない鼻血を出していた。
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「床を汚してしまったので、何か掃除するものを貸して頂けますか?」
彼がそう尋ねたのは、連休最終日の前夜のこと。帰りの渋滞を避けるべく、深夜出発の前に仮眠をとっていた彼が起きた直後のことだった。
あ、そうなんや。いや、全然ええよ。適当に拭いといてくれたら。その床のエリアはいっぺんめっちゃ広範囲を水で濡らした染みがあってさ。何なら、ちょっと違う場所やけど、元カノの犬が普通にウンコしたとこもあんねん。鼻血なら木目の一部っぽい感じになるやろし。全然ええよ。色々言う。気にするなと。これから長距離の運転あるんやし放置放置と。
「できるだけのことはやらせて下さい」
彼は言う。わかりましたと答える。ああ、なんて立派な人。僕なら黙っとくまでありえるけどなぁ、などと思いつつ。
「つらい…」とこぼしつつ、放っておいたらなかなかやめそうもない彼を「あと5分で終了です」などと無理やりに終えて貰う。
もうここは寝て、朝起きて出発しても一緒じゃないと言っても、子供が寝てるうちに移動したいのでと、深夜3時。彼と家族は帰路へと出発した。
きちんと休めたのだろうか、と少し心配になる。
ほんの数日間。
断片で全体を語るには無理があるが、現在進行形で300kmで走り続ける彼と、その強みの陰に滲む労苦を偲びつつ、60kmでも走らんとなと思った。
(以上)