【一日一恥】この世はビザールでござーる
けぶる木漏れ日は、春のモチーフ。ご覧の通りここ奈良での桜も、九分咲きまで届きました。
さて、春と言えば出会いと別れの季節だけど、それって要は「可能性の季節」ってことだなと気が付いた。ふと思いついたことをキッカケに即興でえいや。
題して、この世はビザールでござーる。
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私、可能性って言葉大好き
「可能性」という言葉を聞くたび思い出すこのシンプルなセリフは、旅先のラオスで聞いた。
言葉自体は同じでも、その響きが時と共に変わるのが不思議だ。
ラオスの汗ばむ陽気の下、もしかしたらBeer Laoなんかも飲みながら、開放的な旅のムードで聞いた時には、甲子園の青空に白球が飛ぶかのような爽やかさと溌剌さを持って響いたそれが、今ではまた違って聞こえる。
『マチネの終わりに』という小説に、「過去」も「未来」からの影響を受けて常に変わり続けている、という印象的なくだりがある。
僕なりの解釈だと、「過去」の時点から積み重ねた「記憶」と、今を彩る「ムード」が違えば、過去に起きた「事実」は同じでも、その捉え方が変わるから、意味も変わる(観測者が変わると、見え方も変わる)てなことだと理解している。
それは、例えば、こういうことだ。
旅先で出会って以来、日本でも再会して、2~3回ほどの雰囲気や、その時々で聞いた人生の悲喜こもごも。ほかにも断続的に取り交わした連絡だったり、Facebook上の発信などのイメージが「記憶」としてツギハギされて、今の自分の少し内省的な「気分」で捉えたなら、
その言葉は、単に開放的で爽やかで耳障りのよいセリフと言うより、彼女にとっての言霊であり、信念であり、祈りでもあったように感じられる。とてもままならない人生でも、信じること、変わるべきこと、変わらないこと。やめること、続けること。
私、可能性って言葉大好き
どうでしょうか。この短い文章の中でも、その変化が感じられたなら、まぁうまくいったと言えようか。
人は直感的に、そのセリフが相手の心のどの深さから出てきたものかを察知してしまう
なんてことをどこかで見聞きしたけど、その人の人生の時間と感情の堆積がとある瞬間にグッと折りたたまれている時には、多分「そこに何かがある」ただならぬ感を直感するのかなと思う。
どんな目線かは謎だが、僕は彼女の類まれなる才能が、もしこの世で日の目を浴びずに仮にも不遇に過ぎてしまうならば、間違ってるのは世の中の方だと思っていた。才能は環境を凌駕すると、信じていた。
そんなこんなも無事、杞憂に過ぎたかと感じる、今日この頃です。
最初の頃からはとても見通せないカタチでも、その働きかけは、どこかで何かに繋がって、それが現実になった時には、それまでの「過去」の見え方も新たに変わっていくのだなと思う。人生はビザールだ。
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さて残りは余談だが、このnoteでの書き物「一日一恥」を続けてゆくにあたり、いくつかの問いがあるので、今回はそれも添えて幕としたい。
どういうものだと思って見ていいかわからない
急所をえぐられすぎて言葉が出ない。チプルソと対戦した時のふぁんくの気分だが、そういうものだと思って見て頂きたい。えっ、どういうこと?引き続きの宿題としたい。
続きまして、
自分語りより、もっと人の役に立つものがいい
確かにそうかもしれない。上の問いとも通底するところは、「自分とまるで関係ないどこの馬の骨とも分からぬヤツの自分語りに何の意味があるのか、誰の何の役に立つというのか」ということだろうと思う。それは、そうかもしれない。
急所をえぐられすぎて言葉が出ない。言葉出なすぎ問題。でも、一番生々しくて新鮮なので、それもひとつかと思いまして、など言うのが精一杯。引き続きの宿題としたい。
余談中の余談であった。
(以上)
(*) bizarre(ビザール)
very unusual, especially in a way that you think is amusing or that is hard to believe.
とても変なことで、それがもはや面白いなと思わされたり、信じれないように感じられる時のさま