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“今年やりたい100のこと”を書いたら、肩の力が抜けた

年始、「今年やりたい100のこと」を書き出してみよう、という話になった。

私は、この「100のリスト」を書くという行為がどうも苦手だった。本気で達成するつもりなら、わざわざリスト化せずさっさと実行すればいい。逆に、達成できなくても気にしないのなら、それは単なる自己陶酔になってしまう気がして、どうしてもリストを書く気にはなれなかった。

そんな私が「やってみよう」と思えたのは、昨年、心のバランスを少しばかり崩し、そこからふらふらとした足取りながらも前に進んでこられたからだと思う。今までなら考えもしなかったことをやってみようと思えた。それだけで、何かが変わり始めている気がした。

少しの期待を胸に、2025年になって2日目の午後、いつもの喫茶店でリストを書き出そうとしてみる。

しかしこれが、驚くほどに、全くもって書くことが出てこなかった。

夢がないわけではない。例えばリゾート地で1週間くらい遊びたいとか、ハイブランドのドレスを買いたいとか、海の見える別荘を買いたいとか、そういう欲の類であればいくらでも並べられる。
だけど、これは「今年やりたいこと」だ。「海の見える別荘」も「ハイブランドのドレス」も、そのためだけに全てを投げ打って邁進すれば今年買えるのかもしれないが、それは人生の計画としてはあまりに大胆だ。

とりあえず、近々実行したいと思っていることをリストに書いてみる。1月にはこれを、2月にはあれを、3月までにはこれを。
そんなふうに書き出していくうちに、それはただのタスクリストになってしまった。

うんうん唸っている私を見かねて、順調にリストを埋めていた夫が
「あなたの性格でリストを作っても、ただのタスクリストになってしまいそうだね。いったん現実的なことを忘れて、ちょっと無理めなことを描いてみたらどう?実行できそうかどうか、やるかどうかは、考えちゃだめだよ。」
というような提案をくれた。

やるかどうかは考えちゃだめ……それは私にとって、とても難しい課題だった。
『自分の言葉には責任を持ちなさい』というのは、私の中で何よりも強く根ざしている母の教えだ。

やりたいことのリストに入れたのに、もしかしたらやらないかもしれない。
それって、あまりに無責任すぎるんじゃないの?

そう思った瞬間、ピタリと思考が止まってしまった。

せっかく「やってみよう」と一歩を踏み出したのに、また立ち止まってしまう。
えいやとチャレンジを口にして、達成できなければ起き上がれなくなるくらい自分を責める、そしてまた口をつぐむ……
そんな自分をちょっとやめてみるんじゃなかったの?

「達成できなくてもいいの?」
と、恐る恐る夫に聞いてみる。

「いいに決まってる!まずは書き出すことが大事なんだから、達成は二の次だよ」

よし、私のことをよく理解している夫がそういうのだから、多分、やってはいけないということではないのだろう。責任を夫に押し付けるわけではない。でも、一緒に荷物を持とうと思える相手と出会えたのは、幸運なことだ。そう感謝しながら、もう一度頑張ってみようとリストに向き合う。

さて、どう導き出していくのがいいか。自分が何を理由に行動を躊躇するかを考えて、逆説的に次の問いをたてた。

「ある程度、時間もお金もあり、他人のスケジュールを考慮しなくていいとしたら、何をしたい?」

そう自分に問いかけてみると、ポロっとやりたいことが顔を出し始める。
「MVを作りたい」「あの子と一緒に曲作りしたい」「新たなアレンジャーと出会ってみたい」「あの曲をピアノで弾き語れるようになりたい」
そこからは芋蔓式に、ポロポロ、ポロポロとこぼれては、リストを瞬く間に埋めていった。

これをやりたい。ってことは、その前にこれをやっておかなくちゃ。ってことは、これをこうする必要があるよね。そのためにできることは、これかな?あ、いやいや、そのためにできることを考える、ということ自体をリストに追加しよう。

そんな調子で順調に埋まっていくリストを見ながら、ようやく気がついた。

100のリストは、達成を義務とし自分を追い立てるものではなく、
「自分のやりたいことを、どうしたら達成できるのかな?」と考えてみるためのものだったのだ。

「自分の言葉には責任を持ちなさい」というのは、「できることしか一切口にしなさんな」という意味ではない。
けれど私はいつの間にか、「言ったからにはやらなければならない」と思い込み、達成できなかったときのこと考えてしまって、最初から達成できそうなことだけを選ぶようになってしまっていた。
責任感が強すぎるあまり、「失敗しない範囲でしか夢を見ない」という制限を、自分で自分にかけていたのかもしれない。

でも、「やりたいこと」を考えるときくらいは、責任や義務感は少し横に置いてもいい。
「こうしなければならない」と思い込まずに、「こうできたら素敵だな」と思うことから始めてもいい。

できなかったら、できなかったね、でいいんだ。
「有言実行しからずんば死」のような重たい鎖を捨てて、夢を見ることを思い出せそうだ。

100のリストを埋め終えて一か月と少しが経った今、私は着実にリストにあることを実行していっている。けれど、お得意の体調不良で、実行できていないこともある。

そして、実行できていないことがあっても、「まあいっか」と思えている自分がいることに、ちょっと嬉しくなる。

一年はあと十か月と少し。
振り返るその日が、今は楽しみだ。


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