直感的意思決定:ミャンマーで考えたこと

 ミャンマーで行なったワークに、「なぜ人間は働くのか」といった類のワークがあった。私自身は研究職を目指す身であるし(実現可能性はともかく)、仕事というものを「人間の社会性が生み出した生存戦略」と位置付けていたのだが、そのほかの意見も多く、中には「お金を稼ぐ」だとか「自己実現の達成」といった意見もあった。社会において、自分の意見は絶対ではないのだ、当たり前ながら。このノートは雑多である。

 今回のスタディーツアーに参加した、大きなテーマの一つは、「自分の中にあり、自分を縛る『あたりまえ』をいかに克服するか」だった。といっても、「あたりまえ」が何かわからなかったので、それを探求するところからのスタート。
 ミャンマーにおける幸せの形は日本と違うかもしれない。教育に金をかけることは、相当恵まれていないとできない。都市に行けることが幸せかもだし、友達と居ることが幸せかもしれない。単に生きることは幸せだろうけど、家族が元気でいることが幸せだったり、占いで決めたことに従うのが幸せだったり。
 日本であたりまえだと思っていることも、ここでは違う。文献調査こそが研究という人もいたし、教育に金をかけることは相当恵まれていないとできない。勉強する意味を見いだしにくい教育制度でもある。何かを生産することが正義ではないし、自分では何か大きな意思決定をせずに他人に投げるのが通例だ。
 でもその先には理知的な思考も存在する。結局判断するのは自分だからだ。つまり理性と感性のバランスが良い。ミャンマー人は自分で決定しないため、意思決定の遅さはかなりきついが、それさえ克服すれば…すれば? ミャンマー式の意思決定を一つのモデル(ちゃっちいが)として自分と競べれば何か見えるはずだ。 


ミャンマー式の意思決定は何か考えると、

 1. 組織の末端は考えず、自ら動かない。とにかく上へ投げる。

 2. プライドが高く、内部情報だけで決定しようとするも情報が足りない

 3. 「こうすれば決定的に上手く行く」という信念が外部にある 

 この辺りだろうか。このモデルと自分を比較してみた。
 検討した結果、次のような結論を得た。 この内1-2は、自分にも当てはまるだろう。決めない、自分の状況を出さない、プライドが変に高いため傾聴しない。逆に3は、信念自体の良し悪しはさておき、取り入れなければならない部分だ(1を克服するために)。
 簡単な部分から記述すれば、
1. 即決が必要でない場合は、決定に必要な情報の構図を書き出し、最低限の情報を集める 

 決定木を自分なりに作り、どの類いの情報が追加で必要なのか明確にする、収集手段を検討して現地調査が必要なら現地へ行く。

 
2. 即決が必要で、自分で決められず、他者がいる場合は、他者を頼るか協議する 

 情報がなければ判断は困難。だからこそ他人を決定へ意識的に巻き込む。会議における意思決定の3つのうちの2利点、情報の増加と当事者の巻き込みを大切にする。ためらっていた事ではあるが、意識して機会を増やす。


3. 即決が必要で、他者がいない場合に、自らが判断できる基準をつくる 

 「こうすれば決定的に上手く行く」という信念を作る、3の部分に該当する。つまり、決定におけるウェイトを予め設定しておくことだ。 これには2つの方法がある。経験を積むことと、本を読むことだ。私自身双方足りないので増やしていきたい。特に中学校以前の経験に関しては、基本的に覚えていないので、補完できるようモラトリアムを生かす。リスクのある行動(今回のミャンマーも)を積んで、ケースを増やしていく。文献についても同様ではあるが、あまり読まない物語を増やす。
最後に
4. 決めたことには、具体的に覚悟をもつ

 骨を埋めるなり通うなり、一部の時間を当てるなり。そういう自らの資源を割り当てる計画があってこそ、選択は「正解」としての意味をもつ。だからこそそれを決める。有限な資源を認識して分割、設定する。キャパオーバーを防ぐ意味でも必要になる。


 今まで思い上がっていた自分を正すためにも、こういうプロセスをきっちり回して、意思決定能力を高めていきたい。また信頼できる友人や先輩後輩諸氏の意見を、キャパに合う範囲で取り入れていく。自分の価値観を壊し続けて情報を取り込み、決定の質をあげていこうと決意した。
 後で気づいたのは、何かをするのに「好き」である必要性はない。そのドライバーが切迫感であっても、劣等感であっても、はたまた惰性であってもかまわない。自分がやっていることのルーツはなにでも良いから、やっていることを仕上げること。覚悟をもつこと。それくらいはしなければダメだ、と思った。

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