2025年 AIを活用しないと置いてかれるのか?
今のAIは3度目のブームだそうだ。
最近ではAI活用方法を謡う発言や媒体も多い。
では活用しないと我々は時代に置いてかれるのだろうか?もっというと損するのだろうか?
一般向けにもAI用途向けPCが登場
NPUというのをご存じだろうか?
パソコンに少し詳しいひとであればCPUという言葉は聞いたことあると思うが、最近発売されるデスクトップ・ノートPCにはNPUという演算ユニットが搭載されつつある。
細かい技術については難儀なので私も説明しきれないが、端的に言えばAI処理を得意とする演算ユニットとなる。
AIには大きく2つのプロセスがあって、一つはAIモデルを作ること、もうひとつがそのAIモデルを利用して何かの回答を得ることなのだが、NPUは後者に特化している
つまり今後は自身のPCにAIが搭載され(通信しサーバーを介すのではなく)、自身のPCだけでAIによる回答が得られるのが簡単になったと理解しればいいだろう。
現在はPCだが、実はiPhoneにもしれっとNPUは搭載されていたようだ。
今後はさらに大々的にNPUをアピールするスマホが登場すると思われる。
苦肉の策のAI推し
ただこのNPU。果たして流行るのだろうか?
私はパソコン業界で働いているため、PCやスマホはそれなりには詳しい。
そして最近PCもスマホも性能の進化がかなり鈍足になっているなあと感じている。
PCは性能が大幅にアップすることは少なくなり、ひたすら消費電力があがるだけ。最近省電力化に舵を切っているがユーザー受けがよくない。
スマホも一時期は処理能力はもちろん、デザイン・カメラ性能など色々進化したが、最近はどうだろう?
もはやチタニウムといった素材推しやAIによる写真処理などソフトウェアからのアプローチが多く、どれもこれも似たり寄ったりだ。
そこで各社が売り上げを維持するために、無理やりAI搭載推しを始めたのが昨今に感じる。
10年前にもあった今のAI
私は10年ほど前、ニューラルネットワークという今のAIの学習モデルに関わる仕事をしていたことがある。
そう今のAIは結局昔からあるやつを大規模なハードウェアプラットフォームで作り上げただけでは?と思ってしまう。
もちろん細かい部分をみれば、色々改善されているのではあるだろうが、
結局人間が読み込ませた大量の学習データをもとに最適解を提示しているだけだ。
AIにはレベルと概念があり、ドラえもんやターミネーターのようなAIをレベル5と定義している。人間のように行動や思考ができるAIだが、今のAIはその前のレベル4で決められた業務に対して回答を出すだけなのだ。
もしレベル5のAIであったなら世界に大改革がおこっただろう。
でもレベル4の場合、「個人利用レベル」ではそこまで普及しないと思っている。
その理由をいくつか述べていきたい。
私たちがAIに望んでいるものが、それじゃない
今のAIってそんなに受け入れられるの?
少し前までXにて面白いツイートをみかけた。
「AIがいろんな画像や音楽作れるって競っているけど、俺たちがほしいのは家事とか面倒なことやってくれるAIなのよ」
というような趣旨だ。まさにその通りだと思う。
最近、いろんな画像や動画を生成できたり音楽を作れたり、直ぐにプレゼンテーション資料つくれたりとかクリエイティブ用途でAIがめちゃ使える!みたいに詠っていたが、そこじゃない。
そういうクリエイティブ作業は人が楽しかったり、使命感をもって作りたい部分であって、別にAIにすべて作ってほしいわけではない。
むしろそれは自分たちの仕事を奪われるという感覚になり、AIを決して受け入れないだろう。
私たちが面倒だと思えることだけをAIにやってもらい、
AIにより生じた自由時間をつかって、
自分たちのクリエイティブなり使命ある仕事をおこないたいわけだ。
自身の存在価値を脅かすようなAIの利用方法は決して普及しない。
あるとすれば、業務の一部や小説や物語のアイデアを少し出してもらったりするなど補助的な使い方くらいだ。
今のAIを100%信じられない
私は仕事の一部でAIを活用している。
例えばとあるデータを表にしてもらったり、何かの情報を知りたいときの要約、ソフトウェアコードの一部を作ってもらったりしている。
これは確かに便利だ。妻の会社でも議事録や簡単なデータまとめにAIを活用しようという動きがある。
確かにデータ収集、加工は今のAIの大得意分野であり、人間が作業するよりその作業自体は一瞬で終わる。
が、得られた回答が100%正確であるという保証は今のところない。
ChatGPTにも「ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。」と注釈がある。
これが大問題なのである。
私も得られた回答がたまに間違っているのを発見することがある。
頻度としてはそこまでではないのだが、100%合っているとは限らないわけだから、結局チェックをしなければならない。
皆さんも経験ないだろうか?
自分以外が作った成果物をチェックする作業は意外に負担になる。
時間もかかる。そしてめんどうだと感じてしまう。
まだ他人の成果物ならいいかもしれない。間違っていればその他人の責任が生じるからだ。
だがAIに関しては完全に利用者の責任になる。ゆえに得られた回答のチェックは外せない。
たまーにしか間違えないにしても、間違えることがあるわけだからチェックするのだ。結局トータルでみた人間の作業時間は結構かかることになる。
もし100%合っていますという保証がついたなら、この手の作業はAIが一気に普及してもおかしくない。
繰り返しだが100%でなくてはならない。99%ではだめだ。
もしくは間違っても責任を問われない社会通念・仕組みが必要になる。
アメリカではそのあたりがはやくAI導入でホワイトカラーを中心に解雇が進んでいるという話もあるが、本当にそうなのだろうか。
完成度の高い成果物をAIだけで行うのは無理があり、必ず人間のチェックが必要だ。
もちろんとても簡単な仕事だけをやっていた労働者は不要になるだろうが、
それはなにもAIでなくてもプログラムなどで置き換えることができたのではとも思う。
重労働、めんどう、危険な作業はリアルが必要
現在のAIはソフトウェア上で動いているに過ぎない。
だが人間が本当に置き換えてほしい、炊事や洗濯、その他面倒な作業には、実際のリアルでの作業がかかせない。
リアルで作業するなら、当然汎用で精密な動きができるロボットが必要である。
だがゲームの「デトロイト」にあったような家事や執事ロボットはまだ登場しないだろう。
もちろん、工場のライン作業や掃除ロボット、簡易的な受付ロボットはすでに存在しているし、人間のリソースをうまく削減はできている。
だがそれは会社レベルのインフラの話であって、一般個人向けとして利用できるのは少ない。
私は新三種の神器と呼ばれる、食洗器、お掃除ロボット、ドラム洗濯機を使っていて、大幅に時間は削減できた。
今後AIに期待するのは、こうした作業をはじめ、重労働、介護、危険な作業などを高度な次元で代わりにやってくれることであり、今のAIだけでは限界がある。
AIのソフトウェア進化だけでなく、精密な動きをするハードウェアの進化も不可欠であろう。
習慣を変える難しさ
昨今のAIでは提案という使い方もある。
例えば旅行プランや趣味の提案など。
私も一度旅行プランを考えてもらい、そのとおりに旅をしたことがある。中々面白かった。
知人は飲み会のお店を選んでもらったらしい。
こういった提案ベースは多少使われているようだが、
常用しているまではいかない。まだまだ調べる作業もしている。
提案された内容をチェックする時間も必要だ。
私も一発で旅行プランを完成させたわけでなく、長時間AIとやり取りして決められたプランを実行した。
提案されるだけの短時間で済むには、まずAIを100%信じないといけない。
だがそのことを私たちの心は受け入れられるだろうか?
少し前の世代はインターネットというものはあまりしない。
今も口コミベースで対人で情報を集めている人が多い。
だが60代より前はインターネットが普及し、自分で調べるのが自然になっている。
いちいちおいしいお店を、待ちゆく人に聞いたりしない。調べる。
さらに若い世代はSNSで情報を集めているだろう。
このように世代によって根付いた習慣というものは確実にある。
だがAIの提案を受け入れる場合、この習慣を変えることになる。
人間は習慣を変えるのは容易ではない。
昔NHKでNEXT WORLDというスペシャル番組をやっていて、私はこの番組が非常に好きだった。
そのなかでAIが普及し、今日の服装、食事、通る道までAIの提案を受け入れ、人々はなんの疑問もなくその通りに行動している未来を描いていた。
そういえばアニメのサイコパスもそんな未来だったが、
人々がそこまでAI提案ベースで行動するようになるのは、おそらく習慣が確立されていない世代からだろう。
電子媒体が普及しても本屋があるように、インターネットが普及してもテレビがあるように、長く存在する習慣は中々置き換わらないものだ。
頭を使わせられるAI
今のAIの使い方の一部が人を苛立たせる要因になっているのも問題だ。
例えば最近とある運送会社の荷物がこないことがあった。
そこで連絡しようとすると、そもそも連絡先がネット上から消えていた。
そこで仕方なく代表の自動音声に問い合わせると、相談したい番号メニューががない。そこでその他のAIによる受付サービスというものにつながった。
だかこのAIがダメダメで、通り一片の対応しかできず応用が利かないのである。
それが本当にAIだったのかはさておき、結局どうにか人間のオペレーターに繋げて問題は解決した。ここに至るまで相当頭を使ったし、苛立たせてくれた。
このようにとりあえず人手不足をAIで補おうという動きは増えているだろうし、私も反対はしない。
だが今のAIはなんというか応用が利かない。
痒い所に手が届くレベルには至っていないのだ。やっぱり人とは違う。
調べものも通り一片の情報(大体の人が言及している情報)しか回答が無いし、得られる成果物も高度なものを要求しようとすると途端に難しくなる。
「それはAIへの命令(プロンプト)が下手だから」
という人がいる。こういうプロンプトの入れ方をすると良い回答が得られるみたいなことを発信する人がいるが、ナンセンスだなとおもう。
そもそも命令の仕方が難しいAIなぞ、だれが使うのだろうか?
私たちがAIに期待するのは、苦労しないで、また私たち自身が言語化できない疑問を簡単に解決してくれることではないだろうか?
命令すること自体に頭を悩ませるのなら、初めから自分で調べる。
自分で言語化できないと回答が得られないなら、人のほうが応用が利く。
AIがハッとさせられるような新しい発見を提示できないなら、SNSのほうが良い。
AIって難しいな、AIはやっぱだめだなーとみんなが感じてしまうごとに、AIの普及は遠くなっていくだろう。
AIは普及するのか?
以上いくつかの理由から、レベル4の場合、「個人利用レベル」ではそこまで普及しないと結論づけた。
だがAIがまったく普及しないかと言えば、当然そうではない。
例えばライフライン関係だ。
アメリカのとある警察署ではAIモデルを使って、犯罪が起こりそうなエリアをアラートしてもらい、実際AIにより犯罪者の検挙や犯罪発生率を抑えることに成功しているそうだ。警察官の人手不足の助けになっている。
同様に救急車のルート案内や病院案内、レントゲン解析、火事の予想、電気使用量利用予測など、社会のライフライン系にはすでにAIが入ってきているだろうし、今後もどんどん普及すると思う。天気予報も良さそうだ。
軍需関連もだろう。
というか多くの社会インフラのもとは軍需の流れからきているから、AIも当然軍需の普及は早いだろうし、ロボット犬も存在しているから、高性能なAIを搭載してーとかは今後もどんどん増えてくると思う。ドローンも完全自動操縦で目標を駆逐しそうだ。
自動車関連も普及しそうだ。
ここは早くからソフトとハードが融合し始めている業界だ(私は昔、自動車の中のプログラム開発もしていた)。
既に完全自動運転のレベル5は2025年にはスタートするし、最近問題になっているバスの運転手不足を解消するのに、特に路面バスは自動運転が早そう。
知人は運転が得意ではないらしく、車を買い控えていたが、自動運転がでてきたら買うと言っていた。
運転が好きな人からすれば(私も)、完全自動運転なんてつまらなそうだが、運転が得意ではない、好きではない人からすれば完全自動運転は魅力的で普及しそうだ。
タクシー・配送トラック業界は?ここは既得権益もあるし働き手を守る意味で、ちょっと遅れるかもしれない。
このように一般向けの小さな規模というより、社会全体のインフラ関連は2025年さらにAIは普及すると思う。
またゲームのNPCの動きをAI計算にするといった人々を楽しませるような使い方は普及していくだろう。
人の安心や安全、楽しませてくれるAIなら人々も受け入れやすい。
AIを活用しないと置いて行かれるのか?
繰り返しになるが、ドラえもんやターミネーターのような考えられるレベル5のAIが出たら話は変わるが、今のAIでは完全に人間の役割を担うことはできない。
個人利用で劇的にAIが普及するというよりは、インターネット黎明期のように徐々にという感じではないだろうか。
誰もが物理的にも精神的にも簡単にAIを活用できるようにならないと、
普及など到底先だ。
インターネットもスマホも簡単になったから、みんな使っている。
よくAIを活用しないと遅れてくよ!って煽っている人をXではみかえるが、口悪く言えば「お前それを口実に金稼ぎたいだけでは?」と感じてしまう。
話題となったOpen AIのアルトマン氏は、病気や健康などの知識を学習できない後進国にこそ、AIですぐに正しい情報を得られるように~という知の格差を少なくしようという理念で作っていたはずだ。
AI活用しないと遅れちゃうよ!という話は、この理念に反するし、
今投資しないと損しちゃうよ!と同レベルの話でしかない。
誰もが無理なく使えるからこそツールは普及するのだから。
題目にある「AIを活用しないと置いてかれるのか?」に関して私の考えはNoだ。
社会全体の大きな単位でのAI普及はあっても、個人利用レベルで当たり前になるのはまだ先だろう。
レベル4では限界があるし、レベル5になればAI活用しないと遅れちゃうよ!なんて言っているホワイトカラーの人達こそ仕事を奪われる。
ソフトウェアだけでは解決が困難なブルーカラーの仕事のほうが最後まで残るだろう。
AIの有効活用方法もAIの進化に伴って徐々に浸透し、最終的には生活の一部として自然に普及すると思う。つまりAI活用に焦る必要はない。
ただもちろんAIを活用することに反対はしない。活用しないと新しい使い方も発見できない。
使命感と義務感でAIを利用する必要はないのでは?とここでは言いたい。
最終的にはどんな仕事も生活にもAIは普及すると思うが、そのころには労働人口もどんどん減るので、うまく調子を合わせながら、AI・ロボットに切り変わっていくと考える。日本はそういう意味では有利そうだ。
またいずれ書こうとおもうが、実際に深くAIが普及するとき、我々はどうしていけばいいのかも疑問が残る。
結局AIは人のためにあるものであり、人が受け入れなければ普及など到底先だろう。
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