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迷惑は一時、悲しみは一生

夫とのやり取りの中でよくある会話

私「◯◯◯できてなくてごめんね!」
夫「あー!全然いいよ!」

私「申し訳ないんだけど、◯◯◯してもいい?」
夫「全然いいよ!別に申し訳なくないよ。笑」

私「◯◯◯って嫌じゃない?大丈夫?」
夫「全く気にならないから大丈夫!」
私「ごめんね〜ありがとう〜」
夫「謝りすぎ!笑 そんな細かいこと気にならないから大丈夫だよ。笑」


人生で他人に迷惑は沢山かけてきたし、今もかけてるけど、それでも「迷惑かけないようにしないと」とはずっと思い続けているし、完全に染み付いてる。

でも、夫はそんなときいつも「いいよ」と言ってくれる。(私の気にしすぎもあるかもしれないが笑)

今日はふと「迷惑をかける・かけられることって取り返しのつかないことではなくて、挽回できることだし、なんならしばらくしたら忘れるし、迷惑をかけられて嫌だったら逃げてくれるし逃げられる、そのくらいの程度のことか。」
「迷惑をかけてしまうことに対するハードル、もう少し下げようか」
と思った。

「生きてても迷惑をかけるだけだから、それならいっそ死ぬ」
というような思考回路って、鬱っぽい人によく生まれる気がするんだけど、それについて。

もしその人が自死してしまったとして、周りの人達が受ける悲しみとか衝撃は、「迷惑」とは比にならないくらい大きく深いものだし、一時で忘れられるものでは到底なく、一生傷として残ってしまうのではないでしょうか。

「迷惑」どころの話ではないですね。

比にならないとは言ったけど、敢えて例えるなら1時間愚痴話に付き合ってあげるのと、寿命を30年縮められるくらい違う気がする…

だから、周囲へ与えるダメージは最小限に抑えたいと思うなら、迷惑かけるくらいで充分抑えられているのではないか、と思いました。

言い方変えると「頼る」とかですかね。

でも私としては、そんなギリギリの人にとって「頼る」って目的とか悩みが整理された上でって印象があるので、やはり自分の中のカオスを吐き出させてもらったり見てもらったり、その中で嫌な気持ちを相手にさせて、そのフォローは全くできません!というニュアンスとして、「迷惑」の方がしっくりくる気がしてますね。

迷惑かけれるのも、生きているうちだけ、
極端な話、自暴自棄になったら気が済むまで迷惑をかけてみたらいいかもね。笑

イツモウンチトッテクレテアリガト

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