子供は親を選んで産まれてくる?
私は「子供は親を選んで産まれてくる」という一部の主張を拒んで生きてきました。なぜなら、それが本当なら、虐待親の元に産まれた子供の説明ができないからです。
子供が親を選ぶ?違う。親のエゴと性欲で子供は作られるだけだ。
躾という名の暴力を受け、充分な教育を受けられなかった挙句、親に捨てられる……そういう家庭で育ったため、「私は親を選んでなんかいない」という考えを捨てきれずにいたのです。しかし、最近になって「もしかしたら子供は親を選んでいるかもしれない」と思い始めました。
それでは、私の個人的な意見も交えて、「子供は親を選んで産まれてくる説」について順に話していこうと思います。
1.考えを変えたきっかけ
つい最近視聴した動画に「DV夫との間にできた子供を流産したが、優しい再婚相手との子供が流れたときの記憶を持って産まれてきた」という内容のものがありました。
幼い子供曰く「早くママに会いたかったけど、おなかにいるときに愛猫が『パパはママにいじわるするからまだ産まれてきちゃだめだよ』と言ったので一旦空に帰り、優しいパパとの間の子供として産まれてきた」とのことでした。
これを視聴して「もしかしたら……」と思ったのです。
動画の話ですから、これが実話かどうかはわかりません。それでも、私はその動画を視聴し終えたとき、泣いてしまいました。
まれに、前世やおなかにいるときの記憶を持って産まれる子供がいるといいます。そういった記憶は大人になるにつれて忘れていくそうですが、幼いうちにそのような話が聞けることがあるのだとか。私自身が予知夢を見るなどのオカルト的な経験を多くしているため、スピリチュアルなことに関しては興味関心があり、そういった話は信じる方です。
もしこの動画の内容が実話なのだとしたら、少なくともこの子供は確実に親を選んで産まれてきているのだな、と思ったのです。
2.不幸にも意味がある
先述した動画の子供は、いい親を選んで産まれてきた「成功者」といえます。それでは、悪い親の元に産まれてきた子供はどうなるのでしょうか?不幸な生い立ちの子供も、自ら親を選んで産まれてきたのでしょうか。
答えはイエスだと、私は考えています。
幼いころ、自分にとっての「世界のすべて」は「親」でしたよね。「家族」は人が生まれて初めて所属する「社会」であり、そこで人は自分という人間の根本を作り上げ、やがて広い世界に出て自立していくのです。
いい親の元に産まれたなら親を教師に、悪い親の元に産まれたなら親を反面教師に。そのように人は学び、少しずつ大人になっていきます。己の力で成長しようとしている人間は、幼いころから、己の置かれた環境のすべてを見て、気づき、学び、出来る限り正しい大人になる努力を無意識下で行っているものです。
しかし、たとえそのような努力ができず正しい大人というものになれなかったとしても、それはそれでいいのです。結果的にどのような「自分」になったとしても、「自分」を作り上げた世界は尊いのです。
いい人も悪い人も、出来る人も不出来な人も、ひとりの人間です。だれだって世界に産まれ落ちたときから人間で、その命は等しく価値あるものです。幸も不幸も、個を作るうえでは大切な要素です。どんな経験も、そのひとつひとつが、尊いひとりの人間を作ることに貢献しています。不幸にも意味があります。無意味なことなんてありません。
きっと、悪い親の元に産まれてきた人は、自らに試練を課した強い人、もしくは、ほかの人にいい親を譲ってあげた優しい人なのだろうと思います。意味や理由があって人は親を選んで産まれてきたのだと、今ではそう考えています。
3.私が今まで妊娠しなかった理由
私は、お医者さんに「あなたは不妊だよ」だとか「将来子供を授かるには苦労する」とさんざん言われてきました。何度か性的暴行を受けたり、避妊してくれない元彼と同棲していた時期がありますが、妊娠しないのは私が不妊体質だからだとずっと思っていました。(望まない妊娠をせずに済んだのでそれでよかったのですが……)
ですが、いざ優しすぎる夫と結婚すると、わずか4か月ほどで、必要だと言われていた不妊治療を受けることなく、おなかに新しい命が宿りました。これはいったいどういうことなのだろう?と不思議に感じていました。
それは、先述した動画の子供のように、赤ちゃんは自分を大切にしてくれる優しいパパを待っていたのではないかと思います。「あ!ママってばまただめな男の人と一緒にいるんだから!その人がパパになるのはいやだよ~」なんて、空の上から見て悲しんでいたのでは……と思うと少し申し訳ない気持ちになります。
この考えに至ってから、私はますます「子供は親を選んで産まれてくる説」を信じる気になりました。私が今まで妊娠しなかったのは、赤ちゃんがしっかりパパを選んでいたからだと考えると、なんだかしっくりくるからです。
産まれた意味、なんてものを考える時期がだれにでもあると思います。中には「産まれてきたくなかった」だとか「どうして親は自分を産んだのか?」などと考える人もいると思います。私も長い間そう考えていました。今では、自分は強い人間になるためにこの親を選んで産まれてきた、と思えるのですが。
(ちなみに、少々話が逸れるので書くか迷いましたが、実際のところ、本当に親を選んで産まれてきたかはさておき、産まれた意味なんてものは成長の過程で後付けしていいと個人的には考えています。なにか好きなことがあるなら、それをするために産まれたと主張してもいいですし、なんならもう、美味い米を食うために産まれたとかでもいいです。)
純粋な疑問からなら構わないのですが、悲しさや辛さから「ママはどうしてぼく/わたしを産んだの?」なんてことを言われないような、子供に対して誠実な親になりたいですね。
赤ちゃんも人間ですから、しっかりものを見て思うことや考えることがあるでしょう。産まれる前から、赤ちゃんは親になる人をちゃんと見ているはずです。なんらかの理由があって、私と夫を「親」として選び産まれてきてくれるのなら……生を終えるときの一瞬でもいいから、「ここに産まれてよかった」と思えるような環境を与えたいです。
4.まあ、でも、どちらでもいい
この説に関しては賛否両論あるでしょうし、私は途中で考えを変えたため、両者の主張・言い分が理解できます。別に個人の意見・価値観の問題なので、「選んでいる説」「選んでいない説」どちらを信じていてもいいと思います。
たとえ子供に産まれる前の記憶があったとしても「別にパパとママのこと自分で選んでないよ~」なんて言われるかも。神様に言われたとか、くじびきで決まったとか、なんとなくとか、そういう理由で親の元にやってきた子もいるかもしれません。(それはそれで、結果的に親子になったというのは確率的にすごいことだと思いますが……)
これはあくまで「私はこういう風に考えていますよ」というひとりの主張です。自分に都合のいいように考えたらいいと思います。どちらの考えを持っていても、他人や自分の子供にその価値観を押し付けることはよくないですね。考え方というのは十人十色・千差万別ですから。思想や信仰は自由なのです。
ただ、自分が親になるとき、子供が自分やパートナーを選んで産まれてきてくれたらうれしいと、そう思う人は多いでしょう。今までは「選んでいない説」を唱えていたとしても、そのときに自分の都合で考え方を変えても全然いいと思います。
こんな考えの人もいるんだなあ、と、流し読みしてくれたらうれしいです。