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小説『太宰、中也、十五歳』と『ノルウェイの森』
うおっしゃーーー
— うっく (@ukku1102) January 24, 2025
朝霧カフカ先生、『ノルウェイの森』めっちゃすきなんだ!?… https://t.co/HlD2vvcmYX
太宰の台詞「『死ぬ』は『生きる』の反対じゃなく、『生きる』に組み込まれた機能のひとつに過ぎないからだ。」
村上春樹『ノルウェイの森』の一節
「死は生の対極ではなく、その一部として存在している。」
この2つの文章は対応していると思っています。ほぼ同じことを表しているし、単語の並びも同じだし、また朝霧カフカさんが『ノルウェイの森』、村上春樹をお好きだと言うことであれば、直一緒間違いないと思っています。
『ノルウェイの森』においてのこの言葉は、主人公のワタナベが、親友をはじめ、何人かの友達を青春時代に失った時に得た、人生の真実と、その時彼が思った言葉。
『太宰、中也、十五歳』においては太宰が「自ら死にたい」じゃなく「蘭堂に殺される」という事態に直面して言った言葉。
太宰の台詞の方には多少前向きな姿勢があるのか、それはわからない。諦観の中での多少の心変わりかもしれない。かすかな方向転換かもしれない。
ただ、ここで、朝霧カフカさんがインパクトを受けたという『ノルウェイの森』からの引用に近い言葉を言わせることには大きな意味があると思います。少なくとも太宰の人生はここで、一区切りがついた。
『生きる』が視野に入って、何をするか。すぐそばにある手を取り、戦う。その死地を乗り越えて、二人で次のステージへ行く。
それが『双黒』の誕生だった。そういう流れと理解していいかな?