23年1月 香川 徳島 和歌山 一人旅(3)
旅行3日目 1/28(土)
本来、今日は徳島方面に向かう予定だったが、未訪問の車両を優先してもう1日高松周辺をうろつくことにした。
寝ればよくなるかと期待していた左足は相変わらず痛いまま。不安はあるが旅館の朝食を食べていざ出発。
最初に向かったのは旅館から歩いてすぐの志度寺。
お参りした後、海岸近くを通りながら駅へ向かう。
駅で昨日と同じくことでんとJRの1日券を購入した。電車に乗り房前駅で下車。目当ては房前公園に保存されてあることでんの335号だ。1926年日本車輌製。2006年まで現役で運転されていたそうだ。
車内は解放されていて自由に見学することができた。
次に向かったのは房前公園から歩いて15分ほどのところにある88(エイティーエイト)という施設。お遍路さんの休憩所になっていて、ここにもことでんの車両が保存されている。
売店で入場券を買えば車内も見学できる。
塩屋駅からふたたび電車に乗る。琴電屋島駅で下車。屋島観光の玄関口というだけあって駅舎も立派だ。
駅前の通りをまっすぐ少し歩いたところにかつては屋島登山鉄道(通称 屋島ケーブル)の駅があった。駅舎跡は集会場になっていて、裏手にはホームとともに車両が残されている。
見学した後は昨日まわれなかった坂出に行くことにした。瓦町、高松で乗り換えてマリンライナーで坂出へ。
坂出駅から歩いて目的地である御供所公園に向かうつもりだったが、左足の痛みがひどくなっていたため、タクシーで移動した。結構痛い出費だった。「帰りも乗せてあげようか」とタクシーの運転手に言われたが、これ以上の出費はさすがにと思ったので断った。
腕木式信号機が絶妙な位置にあって撮りずらかった。前面の連結器上に書かれていたマークが気になって、後々調べてみたら坂出市の市章だった。現役当時からついていたと言われても疑いなく信じてしまいそうな程似合っている。
車両の記録を済ませ駅に向かって歩き始める。やっぱり左足が痛い。少し歩いたところでバス停を発見した。次のバスまで20分待ちだが確実に楽ができる。どうするかは考えるまでもなかった。
坂出駅から電車とバスを乗り継いでオハフ50 180を見に行った。会社の敷地内に保存されてるので外からちらっと。一見普通のオハフ50に見えるが、国鉄末期に簡易ビュフェ車に改造された異端な車両だ。塗装は当時の赤から青に変わっているが、白帯は健在。
帰りもバスを使おうかと思ったが、バスの時間が合わなかったので駅まで歩くことにした。幸いにも足の痛みは坂出の時に比べればずいぶんとやわらいでいた。
ことでん沿線に戻ってから時間が余ったので仏生山温泉に行くことにした。ぬるっとしたお湯がとてもよかった。
さっぱりした後は瓦町をほっつき歩いて夕飯を探した。結局クーポンが使えるからという理由でココイチになった。赤提灯などもあったがどうも勇気がわかない。帰ってから付近の飲食店を調べたら、おいしいカレーうどん屋が近くにあったみたいで後悔した。
宿は高松の駅近にとった。翌日は徳島方向に向かうことにする。夜のうちに移動しておこうか考えたが次の目的地近くの宿が微妙な上に、乗ろうとしてるバスの始発も遅いのでやめた。
4日目に続く