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小学校受験はやるべき? 急に妻が変な事を言い出した その②

お父さんです。

このブログは地元の公立中高で学び、地方大学を卒業した庶民派お父さんがひょんなことから子供二人の都内私立小学校受験を経て、またまたひょんなことで子供たちがイギリスのボーディングスクールに合格するまでの道のりを綴っています。

今回の記事について                                      小学校受験(いわゆる『お受験』)をするかどうか、検討される・悩まれるご家庭が増えていると聞きます。過熱しすぎの中学受験ではなく小学校受験で入学し、より充実した子供時代を送らせたい親心ですが、我が家では、前回妻から「小学校受験をした方が良いと思う」という投げ方を受け、そこから受験のプロセスを始めたきっかけについて書いてみたいと思います。皆さんのご参考になれば嬉しいです。

前回、妻から「子供たちに小学校受験をさせたほうが良いと思う」と投げかけを受けたと書きました。最初の私の反応は、「えー、やらなくて良いんじゃない?」でした。
そもそも何のために小学校に入るのに受験をしなければいけないのかが理解できず、また経済的にも 私立小学校に入ったら地元の小学校だと無料の学費がそれなりにかかります。また最も大事な事として、私は私なりに地元の小中高校に入ってそこで学んできた事にそれなりの自負を持っておりました。

私が当時30年前に通っていた中学は、周りからは「底辺中学校」と呼ばれていました。一言で言うと 非常に荒れていて、私が通っていた1980年代後半から90年代前半は、入学式前日に全教室の窓ガラスがほぼ全て割られ新聞沙汰となり、週に2-3回は暴走族が校庭に入ってきて「ウォンウォンウォン」と一通り騒いで出ていくような学校でした(一切の誇張なく事実です)。体育の先生は校庭でそれをおいかけ、校内では常に竹刀を携帯し、生徒を睨みつけているような分かりやすく荒れた学校でした。

そんな学校に通っていた私ですが、学んだことも多くありました。
こういう学校では「勉強ができる事」は1つの特徴でしかなく、1つの画一的な価値観は存在しません。「スポーツができる」、
「ゲームが上手」、
「面白い」   
などが尊敬される特徴です。
もちろん「ケンカが強い事」が一番上位の価値観に位置づけられる学校です。ただ、荒れた学校でも暗黙のルールのようなものは存在しており、単に頭の悪い不良はあまり尊敬はされないというか、 リーダーにはなれません。リーダーになれるのは、やはり人望があるというか人が付いていきたいと思うような魅力を持っている人です。例えば意味不明な行動をとらない、弱い者だけをイジメない、強いものに歯向かって行ける、学校内でなく学校外と戦える、などそういう感じです。

私はいわゆる不良では無かったと思いますが、勉強だけをしていたわけでもありませんでした。小学校から得意だったサッカー部に入りたかったのですが、中学に入学する1年前に、サッカー部が部室での喫煙が原因で火事を起こし廃部になってしまっていたので、しょうがなく陸上部に入りそれなりにスポーツで自分の居場所を確保していたという生徒でした。ただ学校外では怖い年上のお兄さん達にいわゆる「カツアゲ(恐喝)」を受けた事もありますし、突然「おいっ!」と追いかけ回された事も複数回ありました。当時インターネットは無く、それしか世の中を知らなかったので、世の中は理不尽でそんなものだと思っていました。当然こういう世界は良くないと強く思っていました。

いずれにせよ中学時代に学んだ事は、
①世の中には色々な人がいるし、理不尽なのだという事
②勉強だけができれば良いという訳ではなく、生きていくためには強くなければならないという事
③人が付いてくるリーダーになるには、勉強だけでなく、体の強さや色々な特徴が必要なのだという事

でした。仮に私の中学時代の学びを社会に当てはめるとすると、温室の中で仲良くできるように躾けられた子供たちだけが集まる環境だけで自分の子供が育つと、実際の社会に出た時にそれまでの温室とのギャップに苦しむことになるのではと思ったのです。それよりは人生の早いうちに社会のリアルを体験し、その中でいかにサバイバルしていくかを学ぶのも大事だと思ったのが「小学校受験は必要無いだろ」と最初思った理由です。

ただ調べれば調べるほどに、現在の東京都の公立小学校・公立中学の現実が見えてきました。
どうやら私が小学校・中学校時代を過ごした時とは、何もかもが大きく違っているようです。この辺の考え方の変化についてはまた次回で書きたいと思います。
また文章が少々長くなってしまいました。今回もこの記事を読んでいただきありがとうございます。

続きはこちらです。


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