イアンがアイドルなるまで
一番最初の方に書いた記事を読んでくださる方が増えてきました。
このnoteが検索でヒットするようになってきたのでしょう。
そしてイアンを調べてる人が増えているのも事実。
日本での人気がもっともっと増えれば日本公演も増えるはず。
みなさんで盛り上げましょう!
以前の記事には書きませんでしたが、イアンが自身のキャリアをスタートさせたいきさつをラジオインタビューを参考に書きたいと思います。
イアンはオーストラリア(シドニーのどこかだそうです)で生まれ、人口約29万人の湾岸都市、ウロンゴンで育ちました。彼の育った環境にアジア人がほとんどいなかったので中国武術で有名な俳優ブルース・リー(アジア人だから)は親戚だと周りの子供に思われていたとか。イアンも合わせてカンフーの真似をしたりしたとか言っていました。(どの動画で見たのか探せなかったです。今後見つけたらこの記事にリンク載せます)
自分のルーツの韓国の事をあまり知らなくて、Kpopカルチャーを知った時はショックを受けたそうです。
大学1年を終えた頃母を説得し渡韓。
彼は当時B-BoyDanceに興味を持っていて、(個人Youtube channelにダンス動画をたくさんあげています)韓国は当時これが盛り上がっていて熱かった。オーストラリアのように平和な環境より、野心的な韓国に将来性を感じたようです。
この頃ダビン君もグアムから渡韓したようで、会う前から動画のイアンを見つけていてコンタクトを取っていたそう。
今考えるとカルトみたいだけど、ランダムに家を訪ねて自分とダンスしたいかと尋ね回ったんだ。踊れなければ教えられるしどうにかなると思っていた。みんな混乱してたよね、想像してみてよ片言の韓国語でさ。(イアンのご両親韓国系です。きっと家族では韓国語も交えて話してたんでしょうね)友達を見つけたかったのもあるし、(イアンにとって)革命的な行動をすようなタイプの人達とのつながりを持てるんじゃないかと期待もしてた。
渡韓して1年くらいして、夜の道でスカウトされ何をするかもわかっていないままオーディションへ。音源も何も用意してなかったので、前の人が使ったpsyの音源でダンスをしたそうです。
自分たちのレーベルの話をしている時にscott(元メンバーのREM。横領の件で訴訟→2024年6月、ダビンくんが訴訟を取り下げました)に特に感謝していると話している所が悲しかったです。
大谷選手の一平氏のように、信頼している近しい人からの裏切りほど死ぬまで忘れられない経験じゃないでしょうか。
イアンの母校 多分ここ。ライドセコンダリーカレッジ
Ryde Secondary College
一応公開されている情報(彼自身が発言)です。
参考ラジオ