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今に繋がる 松本PARCO


今月末に閉店となる松本PARCO。



先日、久しぶりに会う友人たちと訪れた際に
「ここにヴィレヴァンがあったね」
など鮮明に当時の記憶が甦るエピソードが。



友人たちとPARCOに遊びに行く度に、ヴィレッジヴァンガードで面白グッズを探していた10代。


あの頃は地下にリブロ(本屋)があり、よく一人で足を運んでいた。
元々、本が好きではあったけれど、「PARCOの本屋にいる自分」に若干酔っていた気がするのはここだけの話にしておこう。



その空間にいることが「お洒落」


20数年前。

まだ小学生だった私は、イケイケ(今の人に通じるのか?)な母の友人が働くPARCOのアパレルショップへ母に連れて行ってもらうことが好きだった。

何をするわけでもなく、ただ「PARCOに行くこと」に胸が躍った。
そこにいるだけで「お洒落なお姉さん」になった気がしていた。

アパレルショップの鏡に映る自分は、いつもよりちょっと特別に見えたり
PARCOは当時の私にとって『特別な魔法がかかる場所』だった。



高校生になり、一緒に訪れるのは親から友人に変わった。

島村楽器からのヴィレヴァンというお決まりコースや、
ローリーズファームで服を買い、ショップバッグをサブバッグとして持ち歩くことがお洒落だと思っていた。
大きめのショップバッグ=ローリーズでたくさん買い物をした、という格の違いを見せつけられた気持ちになったこともあった。


社会人になり、友人がお気に入りのお店だと連れて行ってくれたB-COMPANYに衝撃を受けたことを覚えている。
「インテリアにこだわるって超お洒落!!」
収納に使うものはジャスコでいいじゃん、とインテリアにこだわりがなかった10代を過ごしていた私の心が奪われた。

ちなみに10数年前に買ったB-COMPANYの赤いトランクは息子のお気に入りの収納BOXとなっている。


PARCOで買うものはなんだか特別で、
今思えばPARCOで買った「お洒落」を持ち歩いていたのだと思う。




新幹線は通らないけれど、PARCOはある


松本に初めて来た友人を案内した際に、
「え、PARCOがあるの?」と衝撃を受けていた。

松本駅から松本城に向かう道中のことだった。


都会生まれ都会育ちの友人に向かって
「新幹線は通らないけれど、PARCOはある」
とPARCOの前で語ったことを10年以上経った今もとても鮮明に覚えている。


数年前、中核市に移行した松本市。

政令指定都市ではないし、県庁所在地でもない
中核市ではなかった頃からPARCOがあった。

松本市のシンボル、ランドマークといわれる場所。


妹と母に連れて行ってもらった小学生の頃。
父と島村楽器に行った中学生の頃。
友人たちと遊びに行った高校から専門時代。
母になり、息子と遊びに行くようになった現在。

松本に根付いたPARCOが閉店を迎える今になって色々な思い出が溢れる。



おわりに

冒頭に述べた友人たちとは、PARCOのポスター展を鑑賞して、信毎メディアガーデンの松本ブルワリーへ。



テーブル席が混雑しており、窓側のカウンター席に3人で並んで座ることになった。


「PARCO」の文字があとひと月で無くなってしまうのは寂しい、とちょっとセンチメンタルな気分になりつつ、久しぶりの再会を楽しんだ。


夕日と松本PARCOと美味しいビール


日本から離れて頑張る友人や、市外や県外で頑張る友人たちが帰ってきた時に
『思い出の場所が次々と閉店したり、街は変わりゆくけれど
松本に帰りたくなる』

と思ってもらえるような街や
会いたくなる自分で在りたいと思う。




おわりに が長いですが、
最後の最後に。

高校受験に苦戦し(色々なことがありすぎて)読書から遠のいた中学3年。
高校時代は友達といることが楽しくて、図書館から足が遠のいていた。

それでも、リブロに足を運ぶことが楽しみの一つだった高校から専門時代。

あの時、PARCOにいること•リブロに行く自分がイケていると思い込み、足繁く通っていたため、本との関わりは途切れなかった。

リブロに足を運んでいた自分がいたから、大人になっても本好きでいられて、好きが高じて司書という仕事に就くことができた。

私の「今」に繋がる松本PARCOとの思い出。


大切なたくさんの思い出をありがとう!


最終日はイベントがあるよう。
仕事の後、松本PARCOに「ありがとう」を伝えに伺います☺︎

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