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私が自然育児にハマった日4 夫、鬱病になる。中編

母子手帳を見てみると、最初のうちは小児ワクチン接種記録があります。上の子も、下の子も。
記録が途切れるのは、Mが鬱を発症して、2年ほど経ってから。それまでは、自然育児好きと交流していても、私はまだ自然育児を楽しく取り入れているだけだったのです。
 
私に心配をかけまいと一切の大変さを口にせず、にこにこして過ごしてきたMが、涙を止められず自力で立ち上がれずに壊れたあの日から、Mは精神のコントロールを一気に失いました。

泣く、怒る、家具を蹴飛ばす、叫ぶ。
あっという間に失業し、昼間臥せっていたと思うとどんなに恐ろしい夢を見たか泣き叫んで起き上がる。
夜中から夕方まで寝ていて、起きたらテレビに罵倒を浴びせながら酒を飲む。
それでも今思えば、Mは最初、私に怒ることは極力せずに、家具やテレビや私とは別方向に向けて怒りをぶつけていたと、思い出します。
 
こんな最中に第二子を妊娠したことは、変に思われるかもしれません。しかし、なんとかMを落ち着けようとしていた私、精神科の薬以外に精神の安定を図るために試した漢方薬、おそらくそのあたりの組み合わせによる一瞬の効果で、私は第二子を妊娠しました。
 
妊娠して出産から2人の幼子を育児していた頃の記憶は、もはや順番がめちゃくちゃで曖昧です。
私はMの病的な姿を子らに見せたくなかったし、それでも見てしまって
「ママ、パパねパパの頭をげんこつでごんごんってしてるの、いたくないのかな。」
と言う子に
「いたいねえ、ごんごんしちゃだめだね、パパに言っとくね。○ちゃんこっちで遊ぼうねー」
と気をそらす日々。
テレビに向かって罵詈雑言を叫ぶMのいる隣の部屋で、2人の子をニコニコ笑って寝かしつけたり、夜中にガラスが割れる音を聞いて、明け方、幼子たちが起きるまえに細かい破片まで必死に掃除したり。
時々Mが落ち着いている時はすかさずMと子を遊ばせながら観察してMが疲れる前にそっと(怒らせないように)離したり。
2人を前と後ろにだっことおんぶをして買い物をして家事をして、くたくたでも少し前まで優しさの塊だったMは一切手伝ってくれない、思いやってくれない。体力も大変だったけれどMが変わってしまったそのことが、なによりも私を苦しくさせました。
 
Mが死ぬと言って突然出て行って1日帰らなかったり、夜中に大声で叫び続けるMを夜間当番医に連れてゆくため大声で罵倒されながら夜中の高速を1時間半飛ばしたり(子は義母を呼んで見てもらいました)。
ふとした言葉が逆鱗に触れて裸足のまま玄関から閉め出され、こどもたちに「ママはあなたたちを捨てた!」と叫ばれたこともありました。
それは壮絶な日々でした。
 
そしてその時私を助けてくれたのは、自然育児そしてスピリチュアル好きの面々でした。
 
私はMの病気について、あまり人に言っていませんでした。Mは言って欲しくないだろうと思ったから。
それでも、私の様子の変化に気づいた自然育児の友人達、スピリチュアル好きの友人たちは、心配して世話をしてくれました。買い物の手伝い、おかずなどの差し入れ。不安定になりゆく私を支えようと、ホメオパシー、フラワーエッセンス、アロマオイル、レイキヒーリングを駆使する友人たち。

友人は私を商売の相手にしようとなんてしていませんでした。お金を取ろうともしなかった。ただ自分が信じるそれらの代替療法で、私を助けようとしてくれていました。私は、助けが必要だった。そしてなんとか、Mを助けたかった。藁にもすがりたくて、もしかしたらホメオパシーが、フラワーエッセンスが、アロマオイルが、ヒーリングが、私とMを助けてくれるんじゃないかと思った。
そうやって、私の人生の中に、代替療法そしてスピリチュアルは一気に入り込んで来たのです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
後編に続きます。
 

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