hammer&hummingbird
自由ってなんだろう?
「自らを由し(よし)とすること」
私は幼い頃からなんというか反骨精神があって。
でも周りからしたら(もしくは私をよく知る友人からも)、ちゃんと毎日学校に通って言われたルールを破らず、無難に試験をこなして、いわゆる「いい生徒」と思われていたんじゃないかなと。それでも、私の中にはいつも反骨的な思想があった。
だから、学生の時は「当たり前」というか、学校生活の中での「定義」みたいなものがあって、それに対して疑問を持って立ち向かっていくことが「格好いい」とも思ったし、勝手ながら自分の「使命」みたいな気もしていた。大体が文章でそれを伝えて、絵や服のタイトルやテーマにしていた感じである。
社会人になってから、私は幼き私が反骨精神で「いやだなぁ」と思っていた社会人になって行っている気がしている。時間通りにオフィスに行き、ある程度節度のある服装で、上司の顔色を伺ったり、先輩の残業に付き合ってみたり…。Twitterである方が「大人とは夢を叶えた人のこと」と言っていて、「あぁ、私はまだまだ子供だ」と思ったりもしている。お金も時間も環境もあるはずなのに、自分の意思で好きな場所へ行き、好きなことをできるはずなのに、学生の頃よりも全然自由ではないと感じる。それはおそらく「自分を由しとしていない」からなのでは。。。。。?
家にほど近い「すみだパークスタジオ」という舞台のできる場所で、
「hammer&hummingbird」という舞台を見た。明日が千秋楽。
私がモノづくりをすることを生業をしていることも手伝って、舞台で交わされる言葉言葉がグサグサと私の胸をえぐっていく。
「誰にも頼まれていないのに、自分で自分の過去の作品と比べたり、人の作品を比べたりしてしまう」というようなセリフが冒頭であり、少し前の自分と重なった。今は少し落ち着いているけれど、また展示をしたり仕事をする度に、私は私の過去の作品を見返して、その評価を見返して、そして活躍する友人の作品や、自分が憧れる好きな作品を眺めては、自分に何ができるんだ?!と悶えるのだろう。自分はそんな偉大な存在でもなんでもないのに、そんなことを夜な夜な繰り返して、少し落ち込んだり、少し嬉しくなったりする。
久々に生の舞台を見て、熱量にやられてしまった。
あれは、映画「ヘルタースケルター」のような、出演者の方々の精神を持っていく作品だなぁと、素人ながらに見ていて感じた。それほどに濃密な2時間弱だった。
主人公の名前は「中村泳(およぐ)」
泳ぐには、自分の意思と力が必要。
ちなみに私は現実的にほとんど泳げない。そこもぐさりと来た気がした。
私の住む街で、こんな素敵な作品が演られているということ、そしてそれを私の大切な人と見られるという現実に喜びを感じる。
あぁ、私もそろそろ泳げるようにならなくちゃなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?