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広袤とは?
お疲れ様です。ウィキペディアンVTuberの宇喜多・W・要出です。ウィキペディアの都道府県や市区町村(以下、地方自治体)の記事にはほぼ必ず、広袤(こうぼう)という節があります。
岩手県の記事を例にとりましょう。この広袤という節には、四至(東端・西端・南端・北端)、そして県庁と人口重心と、図形としてみた時の重心、以上7つの座標が纏まっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1729789503-i7FXDGl6OzV0egKaTjyhE4pB.png?width=1200)
広袤を辞書でひくと以下の通りです。
幅と長さ。広さ。
漢文において「広(廣)」が出てきたら、たいていは横幅という意味です。「袤」の部首は衣です。帯から上の部分という意味です。漢検一級配当!
「広」が東西、「袤」が南北を示すため、四至をまとめて「広袤」とウィキペディアでは書いているわけです。ここまで前置き。
さて、
四至をまとめて広袤とする用法、おかしくない? と私は主張します。
「広袤」って四至か?
四至の意味で使っているケースがあまり見当たらないのです。広袤の用例を調べてみると、『大菩薩峠』では「一の広袤ある丘陵を成し」とあり、戦中の新聞で「広袤七千万マイルの全太平洋」とあります。
また興味深い用例として、「ハイデガー存在論における「公共性〈批判〉」の広袤」という用法を見つけました。「ひろがり」という意味なのです。
広袤の意味はあくまで幅と長さ、広さです。岩手県の面積や、洋野町から一関市まで何キロか、西和賀町から宮古市まで何キロか、これは間違いなく広袤です。実際に長さ・広さの意味で使っているウィキペディアの記事もあるほどです。(以下、どちらも記事投稿時点2024年10月25日の最新版)
今ウィキペディアの地方自治体で、東端・西端・南端・北端を広袤とするのは……なかなかどうしてグレーなのではないでしょうか。いわゆる「誤解を招く表現」よりも、もう半歩、間違いサイドに寄っている感じがします。経緯という熟語を本当に「たて糸とよこ糸」という意味で使うような感じです。
経~~~~はあなた~~~♪ 緯~~~~はわたし~~~♪
というか……四至でよくない?