涅槃寂静とウィキペディア
お疲れ様です。ウィキペディアンVTuberの宇喜多・W・要出です。先ごろ、ウィキペディアに関するツイート(現・ポスト)がバズっていました。
私の友人らもこのツイートに反応しています。反応の内容も正確で、掛け値なしに有難いです。私のしてきた活動がゆっくりと広まりつつある……
ウィキペディアと涅槃寂静に関しては、私も動画をすでに出しています。要は、命数法の記事の中に、出典のないものがあったので、ウィキペディアから削除された、という話です。
ただし、「デマだから削除された」ではありません。今回この記事ではこれが言いたい。
そもそも、ウィキペディアの削除の方針に、「デマを消す」(デデン!)なんて文言はありません。あくまで出典が第一であり、検証可能性が命です。ウィキペディア日本語版の方針に、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」とまで書かれるほどです。
しかも涅槃寂静が極微の数として登場したのは、ウィキペディアが最初ではないようです。
2000年代初頭に各サイトでみられるとのことです。議論がツイッターで百花斉放に交わされていますが、いずれにせよ、さかのぼれるのはどうやらそのあたりの年代までみたいです。
「Wikipedia発のデマにNHKが騙された」はデマ。でも、こうやってデマだデマだと大声で喧伝するのも、問題があるようなのです。
ウィキペディアとデマ
検証可能性の観点から言って、私(この場合ウィキペディアン)にとっては「ウィキペディアからデマが広まった」ことよりも、有効な出典がないことの方が、重大なのです。
情報を扱うものとしてそんな態度はいけないのかもしれませんが、こんな論文があるそうです。
私も今まで「デマに気をつけろ!」と言ってきた側の人間なので、この論文は考えさせられました。
すなわち、デマに気をつけろ! と言えば言うほど、対抗するために政府や大企業による監視を求めるようになり、民主主義が竦む、ということらしいのです。
日本政府もインターネットを監視するとかしないとか、日経新聞が信用できないからニンテンドーダイレクトを信じようとか、実際にこの論文の流れが来つつある……感覚があります。こわやこわや。
まとめ
ウィキペディアを外付けの性誤判定機にしないように。参考程度に留めましょう。