募る許りのサーモボルタイン、私も何度も試行するんだろうか?
「これから世の半数くらいがHSPを名乗るんでない?」ってツイートを見て、分かる〜と思ったンゴね。別にHSPでなくとも、ADHDとか、とにかく任意の名前のついた状態を名乗るだろうなと。
例えば、「オタクになりたい若者」という概念が最近使われていることをなんとなく知っていて、その人たちをソーシャルイベントで思うように結果を出せなかったいわゆる"陰キャラ"だと言うふうに私は認識しているのだけど、その「オタクになりたい若者」にオタクっぽい知的好奇心が少なかった場合はどうなるのかな?
ヒントは、そういう人にとって自身が陰キャラであることは不本意で、だけどソーシャルスキルがなくて、ソーシャルイベントに対して脱価値化することで改善を試みているわけだけど、彼らにとって真に解決をもたらすのはソーシャルスキルを磨くことであって、フィールドを変えることではないよね。
さて、ソーシャルイベントを望む人間がフィールドを変えたのに、オタクっぽい知的好奇心という適性が無いために「オタクになりたい…」と憧れるだけで近づけない場合にどうなるかって、前述の通り、自覚があるかは別として、彼らが欲しているのはソーシャルイベントを成功させるソーシャルスキルなのだから、自分のアイデンティティを自分の性格や性質や本質といったような部分に委ねようとするのだと思う。
そしてそういった試みの格好の餌となるのは、性格分析やら病気やらギフテッドやらIQテストやら…まあその辺の概念である。別に、誰にでも個性というものはあるし、その探求がもたらすものについてはポジティブな結果の方が多いとは思う。しかしながら、結果の認識する段階に曲解を起こしたり、結果への過剰適応や病的な空想癖による現実からの乖離など…つまり、予の後の不良の全の般!に油を注ぐことも全くの想定外というわけでないだろう。
適切に、段階を踏んで自己理解をしていく?そんなの無理なのだ。インターネットなどがさ、こう、いい感じに発展して、ふと「つらい…」なんて言おうものなら、日頃から我々の思考を学習しているエイ•アイが「その状況に当てはまるこういう病気がありますよ」「あなたのこういう性格が引き起こしたのかもしれませんね」と検索履歴に自己理解コンテンツを弾き出したらどうする?狡猾にも「知的好奇心」なんてバイアスを武器にした不合理極まれる我々が、我々よりずっと合理的なエイ•アイの弾き出した甘美な情報に抗うことができるだろうか?できない。できるのであれば、まず、ツイッターに人は集まらない。
我々が情報を武器にすることはハッキリ言って無理だと思う。なぜなら我々は、情報を選ぶことが、あまりにも、その…"ヘタクソ"すぎるのだ。いっそエイ•アイに任せてエイ•アイが理解した合理の年からもう数百年待てば、さらに合理化したエイ•アイが愚かなる我々の不合理さをも理解し、"不合理に対して最適化した合理"を導けるようになるかもしれない。
つまり、とにかく、兎にも角にも、トランツィーニにもカルティック•クルグルスにも、「本当のこと」を知りたいのであれば、合理化なんてのはそこそこに置いといて(世界の方針として合理化を追求しても良いとは思うけど、個人の予後とアイデンチチを個人が守るためには)単なる「度合いの大きさ」を知るくらいで十分だと思うんだ。
度合いの大きさとは?つまり、簡単に言えばADHDなのかADHD傾向が強いだけなのか?を判明させてやろうという話だ。真偽がどうとか、そういう話はしていない。特徴を押さえることは、mulūkhiyyaの剣だ。そしてその諸刃を一方通行にするには、最も合理化したエイ•アイが最も正しく不合理化する逆シンギュラリチーを待たなければならないと先ほど書いたというわけなのだけど、正規方向のラリチーすら起こっていない世界で寿命と闘いながら逆ラリチーを待てるか?諸刃で自爆しながら?それはもうなんか逆に面白すぎる。
諸刃による自爆を止めるには、自分自身が自分自身の不合理を確かに認め、「度合いの大きさ」を探究することが最適で、それこそが不合理を認めていることでもある。インタラクティブというわけだ。
つまるところ、世界について語れることは現時点で「デカさ」のみなのである。合理化や最適化なんてものは、言い方を変えただけで単なる美醜に過ぎず、世界にあるものの中で我々が知覚できていると言ってよいものは、まずは個人における美醜と、次にその美醜がどのくらいの強さで発生しているか?ということだ。そしてその2つのうち、自分の外界とも共有できるもの、つまり言語化する意義があるものについては「デカさ」のみである。デカいか、デカくないか。世界には今のところ、本当に、これしかない。最適なものがあるとすれば、「世界には今のところデカさしかない」というのが唯一の最適なものだ。(そんなことないだろ、と読者がおっしゃるなら私の思う最適さが単なる私個人の美醜であることを認めます。さすれば…ね?やはり、世界には"デカさ"しかなくなってしまいます。)
はいわかりました先生、じゃあその「デカさを測る指標を教えてください(その指標こそがなんらかの最適なわけでしょニヤニヤ)」←これ普通に騙されないから!笑
デカさの他には美醜しかないので、ここからは自分語りのパートを始めようと思う。思うけど、なんだか眠くなってきたので、やめます。気が向いたら、書きます。いや書かないと思う。ツイートしますわ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?