わたしの発達障害が発覚するまでの奮闘記 (大学生以降~診断)
🎈はじめに
お久しぶりです、うきまろです😊
これまでは家庭問題についての記事が多かったですが、
これからは発達障害についても書いていこうと思います。
そこでまずは、”私の発達障害(ADHD・ASD)が発覚するまでの流れ”をご紹介します。長いですが、精魂こめて書いた力作です💎
ご自身や周囲の方について「発達障害なのかも」と悩んでいる方の参考になれば幸いです。また、すでに診断を受けている方も「こんなパターンもあるのか」と思いながら見てもらえたら嬉しいです😄
私は大人になってから発達障害が発覚しましたので、この記事は”困り感が強くなってきた大学時代以降”の内容になります。
それ以前の時期や、個々の時期の詳しい内容については、また後日投稿したいと思います。
※以下の発達障害エピソードはあくまで私個人のもので、発達障害者全員が
同じようになるとは限りません。現れ方は人それぞれですので。
一応、発達障害の概要を厚生労働省HPから引用しておきますね。
不要な方は「🎈大学生時代」からお読みください😊
「発達障害」とは
生まれつきの特性です
発達障害には、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習症(学習障害)、チック症、吃音などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の働き方に違いがあるという点が共通しています。同じ障害名でも特性の現れ方が違ったり、いくつかの発達障害を併せ持ったりすることもあります。
自閉スペクトラム症とは
コミュニケーションの場面で、言葉や視線、表情、身振りなどを用いて相互的にやりとりをしたり、自分の気持ちを伝えたり、相手の気持ちを読み取ったりすることが苦手です。また、特定のことに強い関心をもっていたり、こだわりが強かったりします。また、感覚の過敏さを持ち合わせている場合もあります。
注意欠如・多動症(ADHD)とは
発達年齢に比べて、落ち着きがない、待てない(多動性-衝動性)、注意が持続しにくい、作業にミスが多い(不注意)といった特性があります。多動性−衝動性と不注意の両方が認められる場合も、いずれか一方が認められる場合もあります。
上記3つの出典:厚生労働省ホームページ(2021年10月19日参照)
(https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_develop.html)
では、ここから本編です😄
🎈大学生時代
●自動車教習
最初に「あれっ?」と思ったのは、運転免許の教習のとき。周囲の人たちからは「だれでも合格できる」と聞いていたが、私にはとても難しかった。運転時には注意すべき場所やタイミングが多くあるため、私の頭では処理しきれず、いっぱいいっぱいになってしまう。試験では何度も不合格になり、最後には教官に匙を投げられてしまった。結局、運転免許は取得できずじまいである。
このような事態になった原因は、注意欠陥/多動性障害(ADHD)ゆえの不注意やマルチタスクの困難さだと思う。”車を操作しながら信号の色や標識などを確認すること”は、まさに注意力とマルチタスクを求められることだろう。だがこの時は、そんな知識も一切なかったので、「だれでも合格できることさえできないなんて、自分はなんて無能なんだ」という認識になってしまった。
●公務員試験の勉強
大学生時代で特に困ったのが、公務員試験の勉強である。自分の就職に関わる一大事であるにもかかわらず、勉強ができない。それについてはうつ病の影響もあっただろうが、あまりにも勉強を進めることができなかった。これはおそらく、ADHDの”集中力を必要とする作業を避けようとする面”が強く表れたのだと思う。その現れ方は、当時かなりの根性論者だった私の「絶対に勉強して合格してやる!🔥」という決意を、軽く吹き飛ばしてしまうほどだった。このように自分の決意を守れない日々が続くことで、私はどんどん自信を失ってしまった。
●レポート課題
こんな性質があるため、大学でのレポート課題は毎回大変だった。レポート課題といえば、”集中力を必要とする作業”だからだ。
レポート関連でいえば、ゼミの卒業論文は特に難関だった。公務員試験勉強の時のように、なかなか作業に着手できなかった。「提出期限に間に合わなければ留年してしまう!」と気が気ではなかったのに、それでも取り掛かれなかったのだ。結局、徹夜を繰り返してなんとか締切直前に提出したものの、論文はあきらかに「未完成」の出来だった。合格にしてくれた教授に感謝である。
集中力を必要とする作業を避けようとしてしまう私だが、同じレポート課題であっても”興味が向いたこと”はやりやすい。たとえば、自分で決めたテーマ『ポケモンと人間の欲望』について書いたときは、ちょっぴり楽しみながら書いていたと思う。この発達特性の”都合のよさ”が、自分も他人も混乱させてしまう要因なのだろう。「ポケモンについては書けるなんて都合が良すぎないか?」「ポケモンについてレポートを書けるなら、卒論にも着手できるだろ」と自問自答することになる。
🎈アルバイト時代
●仕事を覚えられない
働き始めて半年以上経っても、毎日つける帳簿の書き方を覚えられなかった。また、営業時に説明する内容も、なかなか覚えられない。
もちろん、わからないことは先輩に質問したし、教わったことはメモにとって何度も読み返した。さらに、休憩時間や休日でも商品について自分で調べたり、仕事のイメージトレーニングもしてきた。しかし、それでも覚えられなかった。「いくらなんでもおかしい」と思ったが、当時の私は「これもきっと、うつ病のせいなんだ」と考えるほかなかった。
これもやはり、ADHDにより物忘れが多かったのだろう。ASDの”興味の偏り”も関わっていたかもしれない。
●ミスが多い
このように、どれだけ気を付けても覚えられないことが多いので、当然ミスが多くなる。また、不注意によるミスもこれに加わる。そうなると叱責されることが増える。これが延々と続くことで、私はどんどん自己肯定感を失っていった。採用面接の時点で上司に私の発達特性を説明できたらよかったのだが、当時の私には発達障害の自覚が一切なかったので、ただ「うつ病があります」としか説明できなかった。
●疲れやすい
ミスを少しでも減らすために、私は普段から相当に気を張って過ごしていた。それにより、神経をすり減らす日々を送ることになる。緊張のしすぎで、肩も首もガチガチである。そのため仕事中に頭痛に襲われ、終業後もそれは治らない。帰宅後はバッタリと床に倒れて、そのまま眠ってしまう。その疲れ具合は、”週3日で1日4時間の労働”でも「過労」と診断されるほどだった。そのため”週5日の労働”というものが、私には遥か遠くに感じられた。
🎈就労移行支援事業所時代
度重なる失敗で疲弊していた私は、就労移行支援事業所に通うことにした。そこは、困難を抱える人を支援してくれる事業所で、社会復帰に向けた訓練をするのである。当時私は障害者手帳を持っていなかったが、うつ病を理由として訓練を受けることができた。その内容は軽作業、リラクゼーション、SST(ソーシャル スキル トレーニング)など。私は自分の訓練目標として、自身の弱点である「マルチタスク」と「過緊張」を改善しようと考え、訓練に取り組んだ。
●親切な職員さん達
そこの職員の皆さんにはとても親切にしていただいた。あたたかい心の方達で、私たち利用者に無理がかからないように気にかけてくれる。また、訓練においては、私の目標に合わせて課題を割り振ってくれた。そのため、徐々にマルチタスクに慣れていくことができた。そして私の障害者枠での就職が決まった際には、皆さんは私を笑顔で送り出してくれた。ここで出会った方々には、今も本当に感謝している。
●しかし働けない
しかし、ここからが問題だった。新しい就職先で、まともに働けないのである。就労移行支援事業所の訓練ではきちんと動けていても、新しい職場では思うように動けなかった。やはりマルチタスクの仕事内容に対応できず、どんどん緊張は高まり、心身の余裕を失ってしまった。
その理由のひとつは、新しい職場の業務内容に”何かを探す”という要素が多く含まれていたからだと思う。例えば、”倉庫の中から必要な商品を探して売り場に移す”という作業。これが私には難しかった。目的の物を見つけられないのである。一人で倉庫内をぐるぐると探し回り、時間ばかり過ぎてしまう。あまりにも時間がかかってしまうので、上司からの風当たりも強くなり、私はその仕事を辞めざるをえなくなった。
これもADHDにより、注意機能が弱いためだと思う。この特徴のため、以前から書類のチェック作業も苦手だった。何度も書いてしまうが、この時も私は発達障害の知識を持っていなかったので、失敗をするたびに「自分が無能だからダメなんだ」「うつ病だから頭が回らないのかも」と考えた。「なんとか社会復帰をしよう!」と努力を続けていたが、その結果は辛いものになってしまった。そのため私は、「一体どこでなら生きていけるんだ…?」と深く思い悩むようになった。
🎈専門学校時代
●発達障害を学ぶ
新しい職場を退職した私は、今度は医療系の専門学校に飛び込んだ。もともと医療には興味があったことと、「自分が生きていける環境を見つけたい」という思いから、今までに経験していない世界に入ろうとしたのだ。この選択が、のちに自分の発達障害を知ることに繋がった。
私は言語聴覚士という国家資格を目指して入学したのだが、この資格をとるための勉強内容は幅広く、その中のひとつに”発達障害”があった。
発達障害について学んでいくと、その特徴がいくつか自分に当てはまることに気づく。「物忘れ、集中を避ける、先延ばし、徹夜……あれ?これって自分のことでは?」と思うことが何度かあった。しかし、あるクラスメイトが言った「だれにでも当てはまることだ」という言葉によって、私の薄ぼんやりとした疑いと違和感は放置されることになった。
●あきらかな違和感を自覚
その後しばらく、私は悶々としながら日々を過ごしていた。しかし、病院での臨床実習をきっかけに、私はついに「やっぱり自分は発達障害では!?」と思うようになった。実習中に困りごとが連発したからだ。例えば・・・
💥先生の指示を聞き取れない(聴力は正常なのに)
💥間違って聞き取る(重要な疾患名をも間違える)
💥正しく聞きとれても即忘れる➡集合時間と場所がわからなくなる
💥正しく聞き取ったのに、なぜかメモした内容は間違ってる➡遅刻など
💥聞き返す頻度が高すぎる➡相手をイライラさせないかと常にハラハラ
💥「あれ取って」を理解できない
💥必要ないのに階段を無駄に登ったり下りたりしてしまう
💥患者さんの情報を覚えていられず、報告書の作成に異常に時間がかかる
などなど・・・。
聞き取りの困難さについては、おそらくADHD由来の聴覚情報処理障害(APD)だろう。後日に地域の大学病院で精密検査を受けたとき、医師から”発達障害であるために言葉に集中できない可能性”を示唆されたことからも、そう考えられる。これによって、放置された私の中の疑いが、再び大きくなった。
●相談を試みる
そこでまずは、周囲のクラスメイト達に「自分は発達障害かも」と相談してみたのだが、「うきまろ君は発達障害じゃないでしょ!😄」と笑い飛ばされるだけだった。その原因はおそらく、”普段から失敗しないように気を張り続けること”が、なぜか学校ではかなり成功していたからだ。それがかえって、相談を軽く流されるという結果を招いていた。(その理由はおそらく、学校での生活は仕事と比較するとシングルタスクが多いからだと思う)。
🎈情報収集と診察
●発達障害チェックリスト
クラスメイト達への相談は軽く流されてしまった私だが、自分の中に違和感が残り続けていた。そこで私は、まずインターネットで医師のホームページ等から発達障害について調べ、さらに4種類の”発達障害チェックリスト”を集めてチェックしてみた。結果はすべて「発達障害の疑いあり」。徐々に自分の中の疑いが濃くなっていく。
●かかりつけ医に相談
発達障害のチェックリストの結果を見て、私は診察を受けることにした。普段から通っていた心療内科の先生に相談してみたのだが、私の話はほとんど聞いてもらえず「君は発達障害ではない。仮に発達障害だったとしても、それがなんだというんだ」と言われてしまう。それはわずかながら、怒気や呆れを孕んだ言葉だったと思う。この診察の時、参考になるようにと記入済みのチェックリストを持っていたのだが、それを手渡せない雰囲気だった。
真剣な悩みを打ち明けても、まるで相手にされなかったことから、心に相当なダメージを負ってしまい、自宅で号泣したことは記憶に新しい。
●過去の洗い出し
そして私はさらなる根拠を求めて、医師のホームページ等を参考に、自分の”発達障害らしい過去の出来事”を約1ヶ月かけて洗い出した。必ずしもここまでする必要はないと思うが、私の場合はやってよかったと思っている。これのおかげで、別の病院での診察時に、自分のエピソードをスムーズに思い出すことができたからだ。逆にこれをしていなかったら、私の頭はゴチャゴチャしたままで「あ…う…えーと…」などとばかり言っていたと思う。心療内科での経験もあって、私の頭と心には、それくらい余裕がなかった。
●絵を描いて説明
言葉だけで私が抱えた発達障害の症状を説明するのは、とても難しかった。
打撲傷などとは違って目には見えにくい障害であるため、言葉で説明されてもなかなかイメージが湧きにくいのだと思う。そのため、私は何枚かの絵を描くことで、自分の頭の中の様子を相手に知ってもらおうとした。これは良い選択だったと思う。現在通っている精神科の病院に初めて訪れたときに、その絵を渡したところ「わかりやすい!」と言ってもらえた。わかってもらえたことを嬉しく思うとともに、「わかりやすさ」がどれほど重要かを痛感した瞬間である。
●予想外の診断
これだけ入念に準備したうえで、精神科で何度か診察を受けた結果、ようやく「ADHDとASDあり」との診断がおりた。院長先生の印象では、私のADHD強度は「どんつきレベル。日常生活に困る」なのだそう。個人的には「あってもグレーゾーン」だと思っていたので、この診断結果には自分でも驚いた。クラスメイト達や心療内科の先生の言葉はなんだったのか…😅
心療内科の先生は「発達障害だったとして、それがなんだというんだ」とおっしゃったが、”発達障害だと判明したうえで対策をとれること”は大きな利点だと思う。たとえば、ADHD用の薬の服用もかかわってくる。なにより、「自分の努力不足のせい」「自分が無能のせい」などと、過剰に自分を責めなくてよくなる。自己肯定感も治療薬も、どちらも大切な要素だ。
🎈お伝えしたいこと
最後に、「発達障害かもしれない」とお悩みの皆さんにお伝えしたいことがあります。それは、”自分が感じた違和感を尊重してほしい”ということ。
私はクラスメイト達や心療内科の先生から「君は発達障害じゃない」と言われても釈然とせず、心の内に違和感が残ったままでした。その違和感は、精神科の病院で診断を受けるまでは、ずっと残り続けました。
いちど強く抱いた違和感は、それを晴らす行動をとるまでは、きっと残り続けます。そして周りの声は時として、その必要な行動を遅らせる働きをしてしまいます。
”周りの人の話を聞くのは大事なこと”。この言葉は、確かにその通りだと思います。ですが、いくつかの補足が必要でしょう。その1つが「自分の話をきちんと聞いてもらった上での相手の言葉は大事」というものです。私の例のように、相手に話を聞いてもらえず、ほとんど印象だけで言われた内容ならば、マイナスの働きをしてしまうでしょう。
なにか困難に直面したとき、”お互いに相手の話を傾聴できる関係”が非常に重要になると私は考えます。自分の発達障害が発覚するまでの過程を振り返ってみて、改めてそう思うのです。
とても長い記事になってしまいましたが、
以上が私の発達障害の発覚の流れになります。何かの参考になれば嬉しいです。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
よければまた、次の記事で🤗