見出し画像

【旅日記】お伊勢さん正式参拝ルートにて

 初詣で、お伊勢参りに行ってきた。正月と連休の間にある平日を狙ったら、案外空いていた。


ちなみに正式参拝ルートとしては

夫婦岩→外宮→内宮

となる。ただ、本来はこれに加えるべき場所がもう一箇所あるそうな。

というのも伊勢には、神宮の鬼門を守る「朝熊岳金剛證寺」があり、「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊参らば片参り」なんて俗謡にも歌われているらしい。(20代のころは車がなかったので、朝熊岳を登山してお参りし、下りはヒッチハイクで降りてくる、なんてことをよくやっていた)。

お勧めはスカイラインを車で登って、山頂の足湯などで伊勢の眺望を合わせて楽しむのがいいと思う。


伊勢志摩観光サイトより

といっても今回は、なんたって寒いので、夫婦岩から内宮までの参拝コース。どうせなら海が見たいので、宿泊は志摩へ。伊勢志摩の海側は、オーシャンビューの宿がたくさんあるし、冬は伊勢海老やかきも美味しい。夏はついでに海水浴もできるので、うちはもっぱら二見浦か鳥羽〜賢島までのいずれかで宿をとる。

初日は二見浦を目指した。車を降りると、夫婦岩の周辺はもう神荒ぶるといった様相で、音立てる強風に煽られながら、背を縮めて参拝した。柏手に飛沫がかかり、髪は乱れ、同行者同士で思わず顔を見合わす。これもまた、祓われてると思えばなんだかありがたくなってしまうのが、神域のいいところ。


満潮御礼

ここで忘れずに、御神籤を引いておく。

というのも、この先の外宮と内宮には御籤がない。なので、伊勢に来て御籤を引きたいなあと思ったら、私は大体、ここ二見興玉神社か、もしくは内宮近くの猿田彦神社で引く。

結果は末吉。「神におすがりせよ」と書いてあり、自分の辞書に「すがる」という文字がなかったことに思い至る。しぜんと、去り行く男に向かって「行かないでええ」と縋り付く女の姿が浮かんでくる。

いや、そういう「すがりつく」じゃないはず。となると、なんでも自力でやろうとせず、少しは力を抜け、ということだろうか。そう思って力を抜いたら、背後から吹き荒れる海風がしぜんと身体を押した。それがなんとも奇妙な心地よさだった。自力で歩かなくても、足が勝手に前に出る。

再び車に乗って、宿へ向かう。海際の大型ホテルで、結論から言うとまあまあだった。普段は旅館か民宿に泊まるのだけど、冬の海辺は冷えるので機密性を重視した。海に迫り出した露天風呂と、部屋から見える海は良かった。ただ、人が多いのが妙に落ち着かなかった。


景色は抜群。相性しだいでは最高かと

翌朝は外宮へお参りし、伊勢うどんを食べ、ついでに赤福を食べる。内宮の赤福はかなり混むけど、外宮正面の赤福はいつも空いている。


毎回物撮りを忘れて食事に没頭し外観で茶を濁す

さて内宮へ。よく晴れているおかげで、気持ちのいい参拝。

ふと「神におすがりする」について考える。「おすがりせよ」。つまり、自分一人で思い煩うより、神におすがりせよ、ということ。もっと言えば、別に甘えていいんだよ、ということ? 

実は、元旦初日に近所の神社で引いたおみくじにも、近いことが書いてあった。「自分の力ではどうにもならないことにまで思い煩うようでは、人生の好転は望めません」。「もっと自分に集中せい、ほんで末吉」というような。まあ、身に覚えがある。

そしてこの2文の間に、「神におすがりせよ」を入れると、なんだかスッと入ってくる感覚があった。

思い煩うことがあるなら、なんとかするでも、諦めるでもなく、いっそ、大いなるものに委ねてみよう、という脱力。

そんなかんじか、と歩きながら思いつくと、ふたたび、風に押される感触を得た。


風日宮への橋

風日宮の橋でしばらくぼんやりする。みんな、お手水から五十鈴川でチャポチャポして、そのまますぐ正宮を目指すので、案外ここは空いている。

内宮を出て、おかげ横丁に戻ると、えらいこと混んでいた。多分、伊勢でここが1番人が多い。いつ来ても。せっかくなら、五十鈴川を見下ろせる「五十鈴川カフェ」でのんびりしたいところだったけれど、帰って仕事があるのでそそくさと退散する。

ひとひとひと

それにしても、新しいお店が増えた。前の式年遷宮以来、本当に様変わりしたように思う。かつての伊勢はもっと人が少なかった。これもまた、神におすがりする気持ちの表れなんだろうか。

少なくとも、委ねようとすれば、何か受け入れてくれる懐の深さもまた開いてくるのが、伊勢の魅力であるように感じたのだった。



小説も書いてます





いいなと思ったら応援しよう!