僕の心を解体しよう 1:恋愛観
最近自分の心の中の整理が必要なんじゃないかと思い、いろいろな内省をする時間が増えています。
そんな中で自分の過去を振り返ると僕の恋愛観に少し特徴があるのではないかと思い、今後のために文章で残しておこうと思います。
多少の気持ち悪さは大目に見てください。
人を好きになるために
これを言うといろんな方にびっくりされるんですが、人を好きになるときに僕の中でその人が達成しているべき(べきっていうと偉そうだけれど)リストが存在しています。
1.丸顔の人
2.おいしいものをおいしいといえる人
3.僕の趣味を許容してくれる人
4.その人にも趣味があること
5.ほかの人を否定しない人
6.過度に干渉しない人
7.黙っていても時間が持つ人
8.他に好きな人ができたらすぐに言ってくれる人
9.僕の中身を好きになってくれる人
(外見じゃなくて)
10.いやなものをいやといえる人
なかなか気持ち悪いなと。自分でも自覚はしております。
なんでこうなったのか
将来のことを考えると仕事がまだ決まってないとかそんなことより、将来が不安になる要素がこのリストですよ。
結婚できんのかというね。僕子ども好きなんで、子どもほしいなあって思ってるんですけど結構絶望的じゃないか。
あ。でも結婚の目的は僕の中では子どもとは全く別になっているので、結婚の結果、子どもができない状況になったとしてもそこにこだわりはないです。ちょっと難しいけど結婚観と子育て観は僕の中ではイコールでつながってはいません。
ここではあくまで、僕の恋愛観。
これは僕が勝手に思っていることなのですが、恋愛観にはその人の人となりがかなりにじんでいるように思います。では、このリストからいったい何が読み取れるのでしょう。
専門家ではないので正解とか正しいことは知りません。
でも、わかることは「誰かに認めてほしい」「裏切らないでほしい」「余裕がある人じゃないと気にしちゃう」かな。
たまたま、タイミングが重なったのかもしれませんが、両親との関係性について。そして自分自身の存在について。改めて考え直す機会を最近無理やり作っています。
最も一番近い関係の両親との関係。それにすら、手こずっている僕に果たして結婚などという複雑な行為ができるのか。
このぬぐいようのない不安は結婚する当日まで付きまとうのでしょう。
理想はご飯とかたまに一緒に食べて、たまに一緒に旅行とか行ける関係性。もはや結婚ではないのかな。でも、楽にずっとだらだら好きでいれたら幸せではないだろうか。おじいちゃんになるまで。
恋愛ができない彼女。人間のエゴなのにごめんね。
隣のおうちの猫と話したくてベランダから乗り出すのはほどほどにしようね。
あと、僕の指を襲わないでね。