出会い①ー京王線の隅っこで
京王線高尾線終点、高尾山口駅。
標高599メートル、古くから修験者の霊山とされ、その手軽さから老若男女様々な人が訪れる人気の山である高尾山。その麓に位置するのがこの京王線高尾山口駅。
そのホームに5:33分始発を待つ男と女。
男は、ストックを始めとする本格的な登山用の道具を身につけている。
女は重い瞼を必死にマスカラで巻き上げている。
ホームに突風が吹いた。女は体を縮こませて震える。男は重装備ゆえ、びくともしない。
男は女をチラと見て、何か思いついたようだった。
男は女に近づいた。
ストックと、スパイクとがオーケストラの如く鳴り響いた。
女が何事かと振り向くと、ポケットに手を忍ばせながら近づいてくる山男が見えた。
女は驚いて身構えた。
男はポケットから取り出したカイロを渡した。
「1000回目なんです。登るの」
女、警戒しながらも礼を言いカイロを受け取る。
「普通のハイキングコースじゃ飽きちゃって、最近は崖みたいなとこ登ってます」
「へえ。すごいですね」
女の表情が緩む。カイロが温まってきたようだった。
「私も、1000回目くらいかもです」
「本当ですか!? そんなふうにあまり見えないですけど! ハイキングコースですか?」
「あ、いや、そうじゃなくて…。この駅来るの」
「珍しいですね、登山目的じゃなくて1000回も来るなんて」
「彼氏が…いて…」
風の音がうるさい。女はカイロを握りしめた。
「5年間、片道1時間の道を律儀に通い続けました。むこうは一度だって家へは来てくれなかったのに」
「皆勤賞ですね」
「無遅刻無欠席、皆勤賞ですね。どんなに忙しくても、疲れてても、彼に呼ばれたらすぐ駆けつけてたなあ」
男、考えるように下を向く。
「今朝、彼の浮気が原因で別れました」
「当然ですよね、5年間も付き合って結婚の話も出ないんだから、きっと彼も私に飽きて…当たり前ですよね、そんなの」
「涙も出ませんでした」
「こうやって必死に化粧して、懲りずにまた男に色目使ってます」
男、拳を握る。
「綺麗ですよ」
女、引きつった笑みを浮かべる。今まで彼氏に「好きだよ」「愛してる」と言われてやってたみたいに。
「高尾山」
ぽかんとする女。
「何も考えずに済むんです。登ってるとき。仕事のこととか、家族のこととか、色んな…その、世界のこと。そこにあるのは、草と、花と、木と山を登っている自分だけ」
男、女の瞳を見つめる。
「よかったら、今度一緒に登りませんか?1001回目」
女、困ったように目を泳がせる。
「すいません! 迷惑でしたよね、気持ち悪いですよね、すいません、死にます」
「いや、違うんです、嫌とかじゃなくて、嬉しいんですけど」
「でも…あの」
「虫苦手で」
ぽかんとする男。
「子供の時、ハエが口に飛び込んできたことあって…」
男は気が抜けた様子でケラケラと笑う。
「笑い事じゃないですよ!あの感触今でも思い出すんですから! これは絶対に口に出したことはないんですけど、野苺の食感に限りなく近いです」
「もう野苺食べれなくなった」
責めるように女を見る男、それを見て笑う女。
始発を待っている男と女。電車はまだ来ない。
ロマンチックじゃないけれど、確かなきらめきがそこにはあった。
私は、
僕は、
この人と生きていく。