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後生可畏
今日は9/23なので、「論語」子罕篇23章目を。
子曰く、後生畏るべし。いずくんぞ來者の今に如(し)かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆるなきは、斯れ亦た畏るるに足らざるなり。
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先に生まれたのが先生で、後に生まれたのが後生(こうせい)です。
後輩たちをおそれなければいけません。どうして彼らがいつまでも先輩たちに及ばないままでいるものですか。四十五十になって、世に知られない連中は期待できないでしょう。
後生とは、顔回のことだとする説も一部にありました。
(『論語抄』陳舜臣より)
後生とは、自分より後に学ぶ人、のちに生まれてくる人という意味があり、先生とは、師の尊称や、先に生まれた人などの意味があるので、一応、子路も顔回から見れば「先生」にはなるのだが…😅。
ちなみに、「後生」を「ごしょう」と読むと、見出し画像のように、哀願する時に使う言葉になる(笑)。
🐻