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他山の石
昨日、スーパーで買い物をしていた時のこと。
レジに並んでいたのだが、ソーシャル・ディスタンスをとって、前の人と少し離れて立っていたら、間にどこかのばーちゃんが、臆面もなく割り込んできた。あ然としてる間に、そのばーちゃんがレジ打ちして貰っていた。
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しかたなく、(敬老精神、敬老精神)と呪(まじな)いのように自分に言い聞かせた(この手合いの年寄りに"敬老"すべきか疑問だが)。
そして、『論語』述而篇の中の、この一章を思いおこした。
![](https://assets.st-note.com/img/1696894783231-95DyR80bNq.png?width=1200)
いま三人で道をあるいているとする。うち一人は自分であるが、他の二人の行動ないしは言語のなかから、自分の師とすべきものが、必ず発見されるであろう。二人の言語なり行動のなかから、よいものをえらんで、自分もそれに見習うし、また、彼らの行動のなかで、よくないと思うものが、自分にもあれば、人のふり見て、わが身を直せばいいからである。
(『論語 上』吉川幸次郎)
昔は、「他山の石」といって、正に人のふり見て、わが身を直せ。とよく言われた。
このことで、肝に銘じたことがある。
一つは、いくらソーシャル・ディスタンスといえど、あまり間を開けすぎないこと。
もう一つは、「なに、アイツ?!」と思われないような年寄りになろう!
である。
見出し画像は、「他山の石」…というより岩だな、こりゃ😁。
🐻