
機知かズルか?
今日は1/9で、一休さんにちなんで?「クイズ、とんちの日」だそうだ。
そこで(どこで?😁)、『中国四千年の策略大全』(麻生川静男)より、孔子に関する話を。

孔子が陳を去って、蒲を過ぎようとした時、たまたま公叔氏が蒲で反乱を起こした。蒲の人々は孔子の一行を止めて、「もし衛に行くのであれば、出国させないが、衛に行かないと盟(ちか)うなら出国させてあげよう」と言った。そこで、孔子は言われた通り盟った後、約束を破って衛に行った。弟子の子貢が「盟っておいて、約束を破ってもいいものでしょうか?」と問いただすと、孔子は「脅迫された盟いなど神は認めない」と、しゃーしゃーと答えた。

この話は、『孔子家語』にも載せられているので、信憑性は高いものといえるだろう。と、著者は述べた上で、中国では聖人君子といえども策略なしでは生きていけないことが痛いほど分かる例だとしている。
明治書院の『孔子家語』因誓第二十二に載っているが、蒲は、衛の国の一部(の筈)なんだけどなあ?元の『知嚢(ちのう)』が間違ってるんだろうか?知らんけど😁。
🐻