温やかと辛辣
後世の儒学が、だんだん格上げしていったので、聖人のイメージが強くなった感のある孔子である。
が、『論語』には、昨日の「郷原は徳之賊」とか、「道に聴いて塗(みち)に説くは、徳を之れ棄(す)つる也(道で小耳にはさんだことを、すぐ道で言いふらすのは、徳義を放棄することだ)」とか、「四十にもなって人に嫌われるようでは、ソイツは終わりだ」など、かなり辛辣な言葉が数々ある。
一方で、述而篇37章の「子は温(おだ)やかにして而(しか)もはげし。威ありて而も猛からず。恭しくて而も安し。(先生は穏やかだけれども、きびしい。威厳があるけれども、猛々しくはない。礼儀正しいけれども、楽々として堅苦しくはない)。」
という、家では穏やかな様子を記した章句もある。
同じく述而篇4章に、
「子の燕居は、申申如たり。夭夭(ようよう)如たり。(先生が自宅でくつろいでらっしゃる時は、のびのびと、またいきいきとしてらっしゃる。)」と、これまた自宅では穏やかな様が記されている。
どうやら、孔子は辛辣な時と穏やかな時の温度差がかなりあったようだ。慣れないと、ちょっと相手をするのに戸惑ったかも😁。
🐻