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障害者の日
なんでも、今日は「障害者の日」だとか。
そこで、『論語』衛霊公篇42章目を。
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師冕(しべん)の「師」は、地位の高い音楽家を意味し、冕はその名である。宮廷に地位を持つ音楽家は師なになにと呼ばれた。古代の楽人は、みな盲人であった。盲人は聴覚が鋭敏だからである。
盲人の師冕が孔子に会いに来たとき、階段のところまで来るつい、孔子は、階段ですよ、たたみのところまで来ると、たたみですよ、といった。立って師冕を出迎えた人人がみな席につくと、孔子はいった。だれそれはここにおります。だれそれはここにおります。
「階」というのは、二階へのぼる階段ではない。古代の中国の家はみな平屋であるが庭から堂すなわち座敷へのぼるのに階段があった。
また「座」とはたたみ、しきもの、であるが、いまの日本の家のように、座敷全部にしきつめてあるのではない。主人なり客なりのすわるべき場所だけに、しくのである。日本も平安朝ではそうであったこと、絵巻物によって知られる。
師冕が退出すると、子張がたずねた。あれが視覚障害者の音楽家と話をなさる方法なのでしょうね。
孔子。そうだ。元来ああするのが、視覚障害者の音楽家を補佐する方法なのだ。
なにくれとないやりとりのようであるが、子張の問いの「与師言」という言い方が、冷淡のひびきをまぬがれぬのに対し、孔子のこたえの「相(たすく)師」は、あたたかいひびきをもっている。「相」とは補相、補佐の意であって、身体に障害のある人を、あたたかく助けるというひびくをもっている。そうして、「固相師之道也」の「固」、もとより、は、一般の礼の伝統としても本来そうである、という意味で添えられたのであろうが、これまたあたたかさをます。孔子が伝統に対してもつ尊敬は、人間への愛情をつねに裏づけとして持つことが、この「固」の一字によっても示されていると、少し誇張していえば、いえる。
(『論語 下』吉川幸次郎 角川ソフィア文庫より。一部、表現を変更。)
子張は、孔子より48歳も年下の弟子。なので、この話は孔子晩年のものだろう。
見出し画像は、階段をスロープにしようと考えている子貢😄。でも、昔の家は結構敷居や段差があるから、バリアフリーは難しいかな?😁
🐻