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アセ💦る孔子①
最近は、それほど就職氷河期なんて聞かなくなったけど、昔の仕官も大変だった。
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『論語』陽貨篇より。
『論語抄』(陳舜臣・著)の解説を引用させていただく😁。長いけど😅
公山佛擾(こうざんふつじょう)という季氏の家臣が、費のまちで反乱を起こそうとしました。それで孔子を呼ぼうとしたのです。孔子はそれにこたえて行こうとしました。
公山佛擾は季氏の家臣ですが、季氏そのものも魯の家臣でありました。孔子がこの誘いに応じようとしたのは、季氏も公山もどちらも自分のあるじをしのごうとした人で、人民の幸福を中心に考えるなら、自分を認めてくれるほうをえらぶべきだと思ったからでしょう。彼には周公の道を東方で行うという理想がありました。魯の公室から頼まれたなら、よろこんで力になったでしょう。しかし、魯の公室には力がありません。季氏に乗っとられたからです。ただし、季氏からは何の誘いもありません。
➖公山は呼んでくれたのだから、そこを理想の土地にしてあげよう。
「吾れは其れ東周と為さんか」➖この大きな望みの前には、季氏も公山もどうでもよろしい。自分を使ってくれるかどうかが問題だったのです。
子路はこれに不満でした。
➖なにもよりによって、反逆者(と、反逆者の季氏が言っている)の公山のところへ行かなくてもよいではありませんか。
孔子が言うには、
➖かりにも私を召そうとするのだから、きっとそれだけの考えがあってのことだろう。東周と為さん、という私の大望が実現できるかもしれないのだ。
だから、私は往く、と孔子は言ったのです。
結局、孔子は行かなかったけど、ここまでお読み下さった方々、ありがとうございます🥰🥰。
見出し画像は、Art Set 4でやってみた😃。
🐻