意識で見え方がかわる映画
本でも、映画でも
観る人の意識がどの段階(次元)にあるかで
全く見え方がかわってくることがある。
おそらく、作者や監督が意図してそうなっているものと、
無意識にひろって(チャネルのような状態)
その作品が作られていれば、そうなるようです。
芸術家が作品をアウトプットする行為はほぼチャネリングのような状態だと思うので、そうなるのは当たり前かもしれません。
きょうは
なんとなしに観た
映画「大人になった僕とプー」を観て
あぁ、、
プーがいってることは
全部波動の世界のことであり
宇宙的な心理の話だなと思ったわけです。
何もしないをする。
どこかへ行きたいと待ってると、どこかが来てくれる。
ぼくは前に進むとき、それまでいた場所を離れる。
くまのプーさんの原作は読んだことがないですが、
少なくともこの映画のプー、
そして本来のクリストファー・ロビンは
波動の活かし方のひみつを知っています。
昔、
映画「マトリックス」を観てびっくりしたことがありました。
初めにこの映画を見た時は
ただのアクション映画として3次元的に見ていたのですが、
2回目に見た時は、全く見え方が違いました。
こちらはあからさまに監督?原作者?が
意図的にそのように作った。
そう思いました。
あとは、クリストファー・ノーラン監督なんかも、五次元的世界を描いてますよね。
絵画も
聖書やそのほかの聖典の類は
読む側の意識で意図の伝わり方がかわってきますので
鑑賞者、読者の意識が読み解く鍵になっていることが多いです。