【不定期更新】備忘録的な記録、"自省録"?
だからわたしは、大学を辞めた
ひとり暮らし編
⚠️大分暗い話を正直に記しているので、見たくない人は見ないでください⚠️
わたしが一人暮らしを始めたのは、そりゃもちろん大学に入学と同時だった。
合格発表が出て、受かったことをパパに連絡したあとすぐに不動産屋さんに電話した。
合格発表後の土日に宮城から長野に向かい、家を決めた。
往路約7時間、往復で約12時間かかる。
長野は遠い。このときに初めて知った。
正直に言う。
長野県がどこにあるのかさえ知らなかった。
「シンシュウダイガク?」「ナガノケン?」というレベル、本当に。
大学名を聞いたことがなかったからだ。
オープンキャンパスにも行っていない。大学のホームページ……は確か開いたような、開いてないような。
無知のまま、長い時間をかけて長野に着いた。
2020年3月8日、あの日はすごく雪が降っていた。
真っ白だった。
内覧1軒目で即確定し、そこがわたしの家となった。
色んな手続きを終え、とりあえずはひと段落した。
2020年3月28日、足りない家具の買い出しに行った。
この日も雪が降っていた。
その時初めてクソでかいイオンモールに行った。
利府よりもデカい。(伝わる人には伝わる)
空庭だか晴庭だかなんだか……今となってはもう記憶は定かではない。
イオンスタイルで布団を買った。
くたくたに疲れてしまった。
百均で食器を買った。
この日の夜ご飯は、引越し祝いとしてお蕎麦を食べた。コンビニ弁当だけど。
次の日(29日)、ちょっと離れてはいるがカインズに行き、二段のカラーボックスを買った。
それから、家の近所にあったホームセンターで衣装ケースも買った。
家で組み立て作業が始まった。
バタバタ忙しなかった。ご飯も食べなければならない。
全て終わって生活がとりあえずできるようになった頃、パパとママが長野を発った。
別れの瞬間は何回経験しても辛い。今でも全部覚えてる。
思えばこの日から始まっていたのかもしれない。
泣いて泣いて泣いて泣いて、ただ辛かった。
駐車場から去っていく親の車を、その姿が見えなくなるまで窓から見ていた。
ママ曰く、パパも泣いてたらしい。
ひたすら帰りたいと思っていた。
何もやる気が起きなかった1日。
意外と上手く整い始めた3日目。
友達と会って一緒に買い物に行った。
近所のスーパーと100円ショップ。
文明の利器って、すげぇな!と思う。
余裕が出てきて自炊を始めた。
この日の自分で作ったカレーの味、味噌汁の味、豆腐とキュウリの味、全部覚えてる。
美味しかった。そして、悲しかった、寂しかった。
泣きながらご飯を食べた。
少しずつ自炊に力を注げるようになってきた。
ひとり暮らしだと1度作ると2、3日もつからお得。
呆気なく数日間の一人暮らしが終わる。
前期の授業がオンラインになったからだ。
わたしは、実家に帰ることにした。
ここからはまぁご存知の通り、前期も後期も全てオンラインになり、大学1年生は終わった。
呆気なく、何も無く、過ぎ去った。
気づいたら、大学2年生になっていた
前期は対面の授業も増え、わたしも戻らなければならなくなった。もちろん、戻った。
大分ひとり暮らしのスタートの辛さはキタんだと思う。今でもずっと覚えてるくらいだからね。
ガチャんって扉が閉まった瞬間の悲しさ、切なさ。
親の車が見えなくなるまで窓から眺めて、見えなくなってから大号泣。
うぇんぇんぇん泣いてた。
次の日からわたしのひとり暮らし生活が始まる。
楽しそうに毎日を送っているので割愛。
想像通り、ひとり暮らしを謳歌していたよ。
バイトをやったり、辞めたり、また新しく始めたり、掛け持ちしたり。
崩れ始めたのは、5月13日。
悲しくないのに涙が出る
ここじゃない「どこか」に行きたい
帰りたくてたまらない気持ちになる
いっぱいいっぱいになりだしたのはこの辺りから。
次の日も、悲しくないのに泣いていた。
誕生日に実家に帰ることを決めた日。
カウンセリングの先生に「帰ったほうがいいよ」と背中を押してもらって決断した。
それくらい限界値だった。
この日を境に自傷癖が再開・悪化した。
毎回同じところを傷つけるから汚くなっていく傷口を見て後悔する日々を送っていた。
心身のバランスが完全に崩れてしまった。
二外のテスト受けられない云々への対応にイラついて、家に帰る途中でママに電話して、泣きながら
「もうやだ!!!!こんなところ辞めてやる!!辞める!!!!」
って叫んだ。ママには「ダメ」って言われたけど。
と、まぁなんだかんだ色々あった前期だったって訳です。
これがわたしのひとり暮らし。