この世界は幸せに溢れすぎている
「誰かから優しくしてもらった」
「美味しいものを食べた」
「好きなアーティストに会えた」
誰しもが『幸せ』ということを経験したことがあると思います。
幸せになると嫌なことを頑張れたり、日々の疲れを癒してくれたりしますよね ෆ´-
そんな『幸せ』ですが摂取しすぎると返ってよくないと思うんです。
例えばものを買って幸せを感じるとします。
「欲しかった服、コスメ、ゲーム」
欲しいものが買えてとっても幸せですよね。
幸せをもっと感じたいと思い、この買い物を毎日するとします。
この幸せが毎日続いた時『幸せ』だと感じていないと思います。
『当たり前』だと感じているんです。
よりわかりやすい例えをしましょう。
今私たちは1日3食を基本として生活しています。
朝起きたら朝ごはん、お昼には昼ごはん、夜には夜ご飯
これらはそう、『当たり前』のことですよね。
でも昔の人達は今とは違い、ご飯を満足に食べることができていませんでした。
畑や稲も不作の年には神に願ったり、儀式をしたり。
その中でおいしいお米やお肉が食べられた時はきっと『幸せ』だと感じていたはずです。
昔だけでなく今、豊かに思えるこの日本でさえもご飯が満足に食べられない人がいると見たことがあります。
その人もご飯が食べられた時、きっと昔の人と同じように『幸せ』だと感じているはずです。
でも今の私たちの生活を見返すとご飯が食べられることが『当たり前』になっていしまって「いただきます」や「ごちそうさまでした」の言葉さえ言えていないことがあると思います。
たくさんの情報、たくさんの人にまみれている中で、どうすれば幸せになれるんだろうと悩んでる人を見ます。
ですがもう既に『幸せ』を知らず知らず『当たり前』に感じているはずなんです。
ただ幸せに溢れすぎていてそのことに気付けていない、それだけの事なんです。
普段の生活を見返してみると
「今日も昨日のように1日が始まったこと」
「自分のことを知ってくれていて気にかけてくれる人がいること」
「空を見上げれば鳥が飛んで太陽が出ていること」
とっても幸せなことばかりじゃないですか。
日常の幸せに感謝して余裕がある時は他の人にも幸せをおすそ分けできる、そんな日々が過ごせるといいですね𓂂𓏸
こんにちは、うかです。
ここまで読んでいただきありがとうございます⟡.·
Twitterにて予告、offのつぶやきなんかをしておりますのでよければ ෆ´-
では、また次の記事でお会いしましょう・ᴗ・
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