なぜイメージアクセサリーを作り続けるのか
先日、自ジャンルでオンリーイベントが開催されたのでサークル参加してきました。今回は漫画本の新刊を出しましたが、趣味としているハンドメイドでイメージアクセサリーも製作して頒布しました。
近年はイベントのハンドメイド枠ではなく同人としてイメージアクセサリーを出されるサークルさんが割といらっしゃるような気がします。アクリルキーホルダーや缶バッジなどのオタグッズは他の人が見ても「あっこの人〇〇が好きなんだ!」と一目で分かりますよね。もし同じジャンルやキャラが好きな人を見つけたらきっと嬉しいと思いますし、会話のタネになるかもしれません。
しかしその一方で「さりげなく概念として推しを身につけていたい」という人も多いのかな思います。例えば仕事などオタバレしたくないときでも身に着けているものにその概念を感じられたら幸せや心強さを感じられるような気がしませんでしょうか…!
もちろん版権が絡んでくる行為なので実際に作品に出てくる物のデザインをそのまま取り入れてはダメですし、いろいろと注意は必要です。だからあくまで連想させるようなデザインとなるわけですが(それでも作品を謳う以上グレーな行為には違いないのですが…)、そこがイメージアクセサリーの醍醐味かなぁと感じます。
それこそ連想ゲームのようですが、元作品から感じ取ったモノを概念作品に落とし込み、その作品を見た人がさらにその人の感性で解釈を展開する、というのがすごく面白いと私は思うんですね。同じ本を読んでも違う人に感想文書かせたら違う内容になるのと同じ感覚です。
具体的に言うと、冒頭のイベントに向けて頒布品の写真をツイートしていたところ、とあるユーザーさんからリツイートをいただきまして「〇〇っぽくてかわいい!このパーツはアレを表しているのかな?それとも△△?□□にも見えるぞ?」という主旨で呟かれているのを見ました。私が狙っていた点もあれば、その解釈があったか!という作製者の意図していないポイントも突かれており、解釈無限大の可能性にとてもワクワクしちゃいました。これだからやめられないっ。
気づけばこうして概念作品を作っていたわけですが、その原点はかなり昔にあるような気がします。子供の頃から手芸が好きで、小学生の頃とある漫画に夢中になっていたときに「このキャラが着けてるネックレス可愛い~!」と思い、手に入れられる材料で『それっぽい』ものを作ったんです。
あのキャラが着けてるものと同じではないけど、その作品やキャラのことを一所懸命考えて作ったネックレスはとても特別なものに感じられました。いま私がやっていることはその延長線上にあるような気がします。
同人とは少し話が逸れますが、小学校でキャンプに行ったときに肝試しをしたのがすごく印象的だったんですね。帰って間もなくそれをビーズで表現したいと思い、紺色と赤のビーズで夜空と提灯の灯りをイメージしたブレスレットを作りました。出来は今思えば良いものとは言えませんが、作りたくなるほど心が動かされるあの瞬間の情熱ってすごいパワーを持っているなと。もちろん手芸に限らず創作物なんにでも言えることだと思います。自分は他の人の創作物を見るとき、その人の情熱を感じ取りたいという気持ちでいっぱいになります。結果として生まれた作品の評価も大切ですが、過程や想いをもっと知りたくなってしまう。
何かに影響され、そこから得た何かを表現したいと思う気持ち。その影響を与えたものが既に誰かの作ったものなのか、自然現象や体験のような他の人のものではないものなのかという違いこそあれ、一次も二次も創作の根底は同じなのかなと思います。その表現手法が私にとってはハンドメイドなんだなと改めて感じました。
物質を伴うものですし作り過ぎても問題だという点はありますが、満足のいく作品が作れた時は嬉しいし気に入ってくださる方がいたときはもっと嬉しいです。あくまで趣味なので気まぐれですが今後もポツポツと続けていたいな〜という気持ちです。
創作に対する自分の軸が少し安定しかけた気がしたので思わず書き綴りました。感覚的で分かりにくい話だったかと思いますが、読んでいただきありがとうございました!