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"choir"voice.17「ひだまりとこもれび」

"choir"voice.17「ひだまりとこもれび」
act:ひなね / タカハシタクマ / 共田尚樹 / 杉本惠祐(ドキュメンツ)

タイトルは、体温を感じる演者たちに拠る。
のっけから余談ですが、
むかし「体温」ってバンドがいて、
ラストライブを誰かと一緒にネガポジに観に行ったのだけど、その誰かがおもいだせない。
そういう種類のぬくみもあるな、とふとおもった。

ひだまりでだまりこくることもあれば、
記憶から漏れ落ちてゆく日もあって、
でもそういった”ひとつ”の重なった屍に似た日々のうえに、
わたしたちは立っているのですね。
初秋のイベントではあるけれど。

あ、曲名や歌詞の大部分は聞き書きなので、
表記違いやききまつがいがあるかもしれません。

◆共田尚樹
本人にも直接伝えたけど、迷いが見えた。
6曲の途中何度か「エモくなる?振り切っちゃう?」なシーンがあったけど、
そこでエモくならなくてもいいにせよ丁寧に歌い上げる方向ではなく、
自分がたどってきた道に”置きにいった”のがもったいなかった。
そこは彼も自認していて、終演後めっちゃ声小さかった。
ただ、「よだか」「LENS」という、個人的共田新旧の2大名曲を中盤に持ってきた、
(しかもそこを短いMCで一度切る)セットリストはすばらしいセンス。

共田尚樹というミュージシャンを約20年観てきているけど、
牛歩というか、亀の歩みというか、ほんとうにやきもきする。
それでいて犀の角のようにひとり歩んでいる勁さがある。
だからブッカーとして「もういいや」ってなれない。ならない。
ギターはそこそこ弾けるけどキャリアを考えれば普通だし、
ピッチはあの絶望的な時代を鑑みれば人間並みになって、
しかもちょっと北小路直也や村島洋一的なフェイクまで入れれるし、
ただ、このひとは、中小企業の中間管理職でつまんねえな、から、
いまは町工場の社長にレベルアップ(?)しつつあるともおもう。
めちゃくちゃえらそうに聞えたら申し訳ない。
でも、実際、牛尾につくより鶏頭に立ちつつあるのがうれしい。

彼のよさ。
ひとことでいえます。
曲がかっこいい。

ただ、まだ、どっかで自分にかけなくてもいいリミッター、
ないしは架空の(自分だけがおもってる)リミッターを意識しちゃってる。
攻めてけよ。ともでぃ。
ほぼ同年代として、はっちゃけた共田尚樹も観たいです。
ちなみにそのあとなぜかうちに連行して飲んだ。

◆杉本惠祐
ピーター(彼の旧い愛称)、最高だった。すばらしかった。
シャビーボーイズ時代ふくめて10回ちょいくらいしか観てないけど、
この夜のソロは極上だった。
声量もあり、抜ける発声なので、アコギマイク録りとどうバランスをとるかかな、と、そういう課題はあったけど、今回はリハからいろいろ試行錯誤してて、ハマったね!

このひとは作者性がてきめんに強くて、
たとえば「say goodbye」的な曲が複数あったり、
「~になりたい」「~になろうよ」って曲もそれぞれあったり、
なにかあると海へ行って花火をしたがるのだけど(これは冗談)、
でも、もはやそれが芸の域に達しつつあるというか、
「またおんなじようなこと言ってる」から、
「ピーターといえばこのフレーズだよね!」に遷移しかけてるとこかなと。あれです、「クリープハイプといえばセックスだよね!」みたいな。
これ、揶揄や皮肉ではなく心底から「ええやん」です。

曲の流れもうつくしかったし、
なにより2度のほどほど長めMCが調和をくずさず、
かつ、いい按配にステージを押し上げていた。
中学の同級生タバコ屋の息子オオヤくんも、1年前のきょう(9月10日)亡くなったおばあちゃんも(合掌)、会ったことはないのに、もうぼくはおそらく一生忘れることはないでしょう。
名古屋から東京に出て演劇にも参入し、もう8年。
もともと芯の太いフロントマンやったけど、
めっちゃ基礎体力ついてるやんさ!とうれしくおもった。

打ち上げでは人生相談をなぜか有堀(オーナー)、たくちゃん、共田、choriとしてて、
「訊く相手まちがえてない?」と若干不安にはなったけど。

◆ひなね
他3組がほぼ同世代のなか、約ひとまわり若い、という意味でも、
ほかが大筋ではギターロックの文脈にいるのに比して、
彼女はパンクとフォークの土壌からこんにちは!なので、
ギミックとして(全員おいしい意味で)トリ前に。
「マス掻いて寝るだけ」みたいな歌詞やら、衣装やら、
けっこう視覚聴覚ともにガツンとくるひとです。
ただ、詩(歌詞)そのものの角度や温度でいうと、
語弊をおそれずいえば、故・野村麻紀さんと鈴木実貴子の面影(ミキティは「正々堂々、死亡」と歌いつつ、ばりばり生きてるけど)が。

彼女の帰り時間の関係でちゃんと言えなかったんだけど、
(お客さんたちとしゃべるのはブッカーより優先すべき)
「いまの”ひなね”」はある意味ひとつの(長嶋茂雄じゃないよ)完成形に近いとおもう。
ただ、それは客観視したとき、だいぶ低い山かもしれない。
それでも、その山を極めるという手はもちろんあるし、
もしもっと標高を高くしたいなら、そろそろ変わりどきかなと。

ひとことでいうと、陰翳がない。
キャラ性、世界観、空気感はじゅうぶん醸せてるんだけど、
そこに脈絡はあっても凹凸がない。寒暖差がない。
なので、観る側はある意味安心して浸れるんだけど、
「でもあなた(ひなね自身)はそれでいいのかい?」とぼくはおもう。

この方向性が無二の正解であればまだ精度が物足りないし、
なんとなくこうなった、なら、もうすこし自分のワードローブをひっかきまわしてみたらいい。

◆タカハシタクマ
「アコギが折れたんでエレキでやります」って前々日に連絡きて、
ああ、たくちゃんだなあ、と謎にほっこりした。
しかし、アコギは折れても心は折れないところもタカハシタクマである。

「こんばんは」以外は「ありがとう」ふくめほぼMCなし、
ひたすら弾いて歌い上げた30分間はとてもうつくしかった。
個人的にはWEEZERというかナードマグネットみたいなアレンジになった「そらまわり」に悶絶。
たくちゃんは「だらしない」「つまんない」「くだらない」等、詩(歌詞)中でも自分を卑下して、
そこは実際まあわりと、いやかなりてきとうな人間なのは知ってるけど、
妙なところできわめてストイックで、そのアンバランスさがいいほうへ出てた。出まくってた。
それがまじめだとか几帳面にうつらないのもいい。
ただ、一所懸命やってるだけなんだ、って板の下からおもえるから。
そして実際そうだろう。
(余談だけど大のビール好きの彼は「ライブ前なんで」と、ノンアルコールビールをがぶ飲みしていた)

「そらまわり」「僕ら」といった、
ステレオタイプ(※彼のバンド)のクラシックB面曲をやってたのにもグッときたし、
エレキで座って弾き語りという形態は基本ポストロックとか変形シューゲイザーとかそっち系の体験しかなかったけど、
ちょう王道のギターロックで原曲からテンポやノリやアレンジをがっつり変えて演るの、
タカハシタクマというミュージシャンにとてつもなくハマっていたよ。

本人は「ソロは年内これで〆かな」って言ってたけど、
年内もっかい観たいなとおもったのは内緒だよ!(大声で)



  

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