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なぜ書きたいのだろう?

noteを読んでいて思うのは、世の中には、いろんな書き手さんがおられますね。パソコンで文を読むのが苦手な僕でも、追っかけてしまう書き手さんがおられます。

ファンといえばそうですし、勝手に師匠といえばそう。まぁその方も書き手の背中を押すことに意義のようなものと喜びを感じておられるはずです。

とまぁ、初っ端からまわりくどいこと書いていますが、その方がある記事で

「なぜ、書くのですか?」

という問いかけをされていました。

「なぜ」ってなんだか僕には新鮮な語感でしてね。
しかも自問自答のお題には最適じゃないですか。
即答できることだけが答えじゃないじゃないですか。
ということで、まずはペンを持ったきっかけから思い出してみましょうかね。





僕は2003年4月からパチンコで生計を立てておりました。いわゆるパチプロですな。時代もあってか、よかったんですよ、収入は。お金の物差しの割合が大きい世界なので、アレですが、、、950万円くらいあったのかな。いい年で。まぁ、いい生活ができる金額です。でもねぇ、なんというのか、心の奥は空しさでいっぱいでした。さみしいというより、むなしい。お金しか返ってこないのもありますが、そのお金の根源をたどれば、負けている人のお金をいただいているという循環。パチプロ生活を始めてから、早い段階で感じましたね、その感じ。

そんな「感じ」もあり、2003年9月からパチンコ道場のようなWEBサイトで、初心者さんに勝ち方を教えたり、上級者さんには新しい情報と知識を提供する立場で活動をしていました。もちろん、というか、当時はWEB上のサイトの掲示板がメインの場でしたから、お伝えするのは文章なわけです。伝えるだけじゃなくて、勝たせる、ということを伝わるように伝えるためには、考えて書かないと伝わらなかったですね。量だけでもダメで、質だけでも物足りなくて、みたいなね。

今思うと、書き始めたのはその頃でしょうかねぇ。20年前になりますか。

それだけでは満足できなくてというか、当時居住していた東京で2006年12月24日に池袋のLOFTまで手帳とかペンとかノートとか、手で書く道具を買いにいきました。それはパチンコ云々というよりも、パチプロ以外の何者かになるための装備を揃えにいったような感覚でしょうか。

それからですかね、手書きで書くスタイルが好き、依存、自分の性格に合っている、と気がついてしまいました。大学ノート他も80冊くらいになりました。手書きで何を書いてきたの?と聞かれると、まぁ、メモですね。

日記的なことはほぼほぼ書いてこなかったです。
あったことよりも、感じたことを。
見たことよりも、思ったことを。
食べたことよりも、考えたことを。
書いてきたんじゃないですかねぇ。



こう簡単に振り返ってみますと、書くことで僕はまだ何者にもなれていませんが、これからも書いていくと思いますね。「書くんだ!」という固い決意表明、というよりも、「書いて生きていきたい」という願望とか、欲望に近いものでしょうか。

言い方を変えれば、僕は食べるために働いて、生きるために書いていくんや。あ、ちょっとおおげさでしょうか。でもそんな感触を得ているんですけどねぇ。

何を書くかとどう書くか、は、また明日になります。
なぜなぜ問いかけはいいなぁ。手の届くちょっと深いところまで行ける気がします。

僕は本を読むのが好きですけれども、今宵はマイ大学ノートを読み返してみますかね。

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