白線を歩く
白線の上を歩く中で自分ルールを築き上げていく。自分ルールを甘くすればするほど簡単にクリアはできるが、達成感と楽しさも難易度と共に失ってしまう。
小学校時代は白線の上を歩くってのをみんなやった経験があると思う。誰に教そわったわけでもないのにみんな共感できるのは人間という生物に備わってる本能なのかもしれないね。性善説と性悪説どっちなんだって議論に登下校白線説はダークホースとして現れたみたいだ。
白線が途切れていたり、なんならアスファルトすらなくなってしまった道に出会ったとき、小学生ながらに考えるのである。救済を。
「3歩までならセーフ!だってこの靴新品だから靴底にバリア張れるもん!あ、そういやこれ靴底にもマークついとんだぜ?かっこええだろ?」
とってつけられらくなったのはいつからだろうか。科学を知りすぎるってのも良くないことかも。
まあそんなこんなで自分ルールを作って白線を歩いてきた。とってつけててもこれが自分ルールだから。
ただし、この自分ルールによって難易度は変わる。甘いルールにすれば価値は下がってしまうんだよ。
じゃあこれ人生に展望させてみよう。大袈裟な話だけどね。
「小学校なんて行く意味あるん?」
大人になった君はなんて答える?勉強が‥、友達が‥。そんなこと言っても通用しないさ。だって彼らは腕を組むだけでバリアだって作れるんだもの。
「人生は白線歩くのと似てるんだよ。だから6歳から12歳までは人生の練習を白線でやるんだよ。小学校の真理は登下校にあるんだよ。その中で自分ルールを作りな。最初は使っていいよバリア。でもそのうちかっこよくなくなるんだよバリア。君はそのうち石を家まで蹴り続けるなんていう十字架も好きで背負っったりするかもね。」
「かっこいい大人は石蹴りながら白線の上歩いてんだぜ?」