一歩踏み出す勇気がない

私には、一歩踏み出す勇気がない。

私は失敗が怖い。だから、一歩踏み出せない。

小学6年生の時、私はよく声優さんのネットラジオを聴いていた。ちょうど放送委員会に所属していることもあり、ラジオ放送をしてみたいと思った。しかし、私にはラジオパーソナリティのように話す能力とラジオ放送をしたいと先生に相談する勇気がなかった。

結局、よく覚えてないが、おそらく、友達に相談したあと、その友達と一緒に先生に相談しに行った。相談した先生は良い人で、ぜひやろう!と言って、企画書をすぐに書くように言ってきた。正直、とんとん拍子で進んでいるのが怖かった。やってみたいけど、失敗するのが怖かった。

小学生が書いた内容の薄い企画書を提出し、ラジオ放送をすることになった。
ネットラジオを聴いては、どんな流れで話を進めるか、話題はどうするか、などいろいろ考えた。正直、その時間は楽しかった。

ラジオ放送当日になった。うまくできなかった。8年ほど前の出来事だからか、それとも緊張していたせいなのか、放送中の記憶はほとんどない。しかし、落ち込んでばかりはいられなかった。ラジオ放送は1回だけではなかったのだ。

2回目の放送を終えた。これも放送中の記憶はほとんどない。しかし、覚えていることが1つだけある。放送後、放送室にやってきたとある先生に「あんな放送なら、しない方がいい」という旨の言葉を言われた。つらかった。悲しかった。友達数名と一緒にいた私は、強がって「なんであんなこと言うの?!」と怒ってみせた。友達も同じように怒っていたが、強がりだったのかもしれない。

「失敗するのが怖い」という自分の気持ちを自覚するたびに、この出来事が頭に浮かぶ。もしかすると、その出来事以前にも「失敗するのが怖い」と思わせる出来事は、たくさんあったのかもしれない。だが、いろんなことが分かるようになってくる小学6年生。分かってしまった。自覚してしまった。思ってしまった。このラジオ放送は「失敗」で、こんなことを言われるくらいなら「やらない方がマシ」と。それが自分を守る術なのかもしれないと。

小学生6年生でできてしまった挑戦へのストッパーは、今もまだ私の中に健在だ。そのストッパーに悩まされながらも、克服に向けて、少しずつ頑張ってきた。でも、ストッパーは小さくならない。一歩踏み出す勇気がない。少し大きくなったのは「失敗してもいい、失敗から学べばいい、失敗してもなんとかなるさ」という気持ちだけだ。

このストッパーは、もしかすると、一生なくならないのかもしれない。でも、それなら適宜そのストッパーを外す術を身につけていけばいい。ここぞという時に一歩踏み出せればいい。少しずつでいい。踏み出す一歩が軽くなるように、一歩踏み出すまでに立ち止まる時間が短くなるように、少しずつ成長していこう。