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踵骨骨折奮闘記⑤

「違和感の正体」(約3600字)

 さて、病室に戻る途中、看護師さんに電話をかけるにはどこでしたらいいかを尋ねると、「んー、電話をかける場所がねぇ。みなさん、ベッドの上でしてはるけど…」と、歯切れの悪い返事が返ってきました。確かに、妻との短い面会の移動時にざっと見まわした限り、誰にも聞かれることなく電話ができるスペースのようなものはありません。
 
『どないしよ?利用者の個別の支援状況も話さないとあかんからなぁ…』
『個人情報保護が難しいな』
『やっぱ病室のベッドの上で電話をするんは、倫理に反するやんなぁ』
『病室の人には迷惑かけないようにせなあかんし…』
 
 と悩みます。そしてまたしても「一人で(ベッド移動)できる?」と看護師さんから聞かれ、プライドが傷つけられます。

『何回も言うなよ。できるって。さっき見たやんか』

 思いを隠すように「大丈夫です」とケアを断って、車椅子の手すりに両手をかけ、残された左足で立ちあがり、ベッドの柵をつかんで、体を反転させ、何とか自力でベッドに移ります。それを見届けた看護師さんが、シャーと部屋から出ていきました。しかし、今回もシャーの加減が甘く、ベッドから廊下の景色が見えます。

『外からの視線って、こんなにも気になるものなんやなぁ』

 と、痛い足を気遣いながらなんとか自力でカーテンを閉めました。
 同時に、隣にいる患者さんがナースコールを鳴らしました。「トイレお願いします」と詰所の看護師に告げます。しばらくたって「○○さん、入るよー」シャーと、カーテン一枚越しに隣が騒がしくなりました。嫌でも聞こえてくるので、隣の患者さんの病気や状態のことなども分かってきてしまいます。
 ○○さんは、今は寝たきりらしく、ベッドの上でトイレを済ませます。終わると看護師さんなのか助手さんなのかわかりませんが後始末をしてシャーと帰っていきます。すると「そこちゃんと閉めて」と○○さんがベッドの上から呼び留めます。「あ、ごめん、ごめん」と言ってシャッと帰って行かれます。(この後、「そこ閉めて」という○○さんのやり取りを何度も何度も聞くことになるとは、この時全く想像もしていませんでした)

『○○さん、大変そうやな』
『まあ、逆も同じなわけで、私のことも分かってしまうよなぁ』
『相部屋って、やっぱ不自由やんなぁ』

 呑気に隣の様子を伺いつつ、気持ちはどうやって電話をするかということに注がれていきます。

『電話する環境も整えられていないようやし…』
『看護師さんの手を借りんと移動でけへんしなぁ…』
『忙しいやろうし、あんま迷惑かけたらあかんからなぁ』
『自分でできることは、自分でしたいしなぁ』
『最小限の手間で済むようにするには…』

 あれこれ考えたあげく、一回の移動でトイレと電話を行ってしまう計画を立てました。しかし、

『どうして患者である自分がこんなにも気を遣ってんのかな?』
『○○さんのように看護師さんにすっと頼めばええやん』
『看護師さんたちは、患者をケアするためにいてるわけやから』

 と思わなくもありません。でも気を遣うことなく頼むことにどうしても抵抗感がありました。先ほどの車椅子移動についても、「できない自分」が許せない(ケアを受けることへの抵抗)、「できない自分」を見せたくない、「できる自分」でありたい、という頑固な性格が影響していたと思われます。

少し話がそれます。
 最近読んだ本に「ケアしケアされ生きていく」(竹端寬著、2023年、ちくまプリマー新書)があります。竹端氏はその著書の中で「迷惑をかけるな憲法」という独自の表現をされており、とても印象に残っています。なぜなら、私もその“憲法”(他人に迷惑をかけるな)に従って、幼少期、青年期を過ごしここまで来てしまったなぁと思うからです。そして、竹端氏は、自身の家族とのケアしケアされる生き方を経験して、「他人に迷惑をかけていい」という生き方をしませんかと説いておられます。
 私の場合は「他人に迷惑をかけるな」というより「人を頼らず自分でやるべき」という思想に近かったように思います。何かにつけて「~すべき」という“べき人間”で、時に歪んだ正義感に突き動かされ行動するという面倒くさい人間でした。
 そんな私が一人暮らしを不安がる長期入院者に、「一人でしなくていいんですよ。人を頼って生活すればいいんですよ」と説明してきたことは、滑稽にも思えます。他人にはそう勧めておきながら自分はそれができないなんて…。一応、年齢を重ねて人に頼らざるを得ないことが増えてきて、今は『人に頼ってもいいんだ』と思うことが増えてきています。

『やっぱ、お願いするの、しんどいな』
『また、一人でできる?って聞かれるんかなぁ』

 そう思いつつも、えいっとナースコールを押しました。
 ほどなく車椅子トイレに連れて行ってもらいましたが、やっぱり「一人でできる?」と看護師さんたちの“気遣い・やさしさという矢”が私の心に突き刺さります。(トイレについてはまた別の機会に詳しく取り上げたいと思います)

『俺って、一人で何もでけへんように見えるんかな?』

 やっぱりそんなことを思いながら、ひとりでトイレに座ります。

『こんな足の状態やからしゃーないやん。現状を受け入れなあかんわな』
『看護師さんに頼ってええねん。てか、今は頼るしかないやん』

 トイレの最中に自分に言い聞かせます。自分がケアを受ける立場になってみて初めて気づくこともあるんですよね(トイレって時に魔法のような考えが浮かんでくることがありますよね)。でもまあ、最初から開かれた心持ちでいられる人からすれば、私のような心情や行動は理解に苦しむだろうとは思いますが…。

 さて、トイレでナースコールを押し、車椅子移動を手伝ってもらいます。部屋に帰る途中に電話のできる場所を探しますが見つかりません。気持ちを整えていたはずでしたが、その苛立ちと先ほどからの『何もできないように思われているかもしれない』という怒りで、つい、

『ここの人たち(スタッフも患者さんも)は俺が何者かなんて知らんのやから、もうあれこれ考えんで電話したらええやん』

 と、病室の傍らの廊下で仕事のキャンセルの電話をしました。感情をコントロールするのが難しく、投げやりになった結果でした(この感情のコントロールも私の実践における課題でしたが、入院という特殊な状況下ではさらに難しくなるということが分かりました)。
 そして、また、一喜一憂してしまう自分がそこにいました。電話の先の「ゆっくり休んでください」「仕事のことは気にしないで」と優しい声かけに癒され、先ほどの怒りなどすっ飛んでしまって、感謝の心持ちに包まれました。

『ありがたい』

 自分のことながら、こういう時は何とも単純な人間だなと思います。
 さて、ありがたかったことは他にもありました。

「上田さーん、いらっしゃいますか?」
<はい。どうぞー>
「失礼します」シャー
<あ、先生>

 と先生が当直明けで疲れているはずなのにひょっこり顔を出してくれたことです。先生は足の状態を確かめて、シャーとカーテンを閉めて帰って行かれました。突然の訪室に驚き、聞きたかったことがすぐに出てこなくて聞けなかったわけですが、顔を出してもらえたこと自体が嬉しかったのです。そして、

『やっぱり、そうやんなぁ』
『声掛けして、返事を確かめてから、カーテン開けるよなぁ』
『それが当然やんなぁ』

 こう思いました。この時、これまで浮かんでは消えていた数々の違和感が鮮明になっていきます。そして、こんな問いが立ちました。

『看護師さんたちが確認することなくカーテンを“シャー”とやってしまうのは、なんで?』
『外からの視線が合わなくなるまでカーテンを“シャー”としないまま去っていくのは、なんで?』
『友達でも何でもないのに、看護師さんたちが「ため口」で話しかけてくるのは、なんで?』
 関心を持たれていないように感じることも、電話をかけるときにプライバシーが確保できる構造になっていないことも、「一人でできる?」って何度も尋ねられることも、患者である私が「すみません」と誤り口調になることも、なんでやろう?

 私は、この時から違和感を生み出すものの正体を突き止めなければならないという衝動に駆られていました。怪我を治すための入院なのだから治療に専念して余計なことなど考えなくてもいいはずなのに、私は“するべきこと”を見つけたような気になっていました。それが傲慢な考えだなんて思ってもおらず、私自身の正義感のもとにその答えを考え解いて深めていこうとしていたわけです。

 こうして、痛みそのものや後悔・不安との“闘い”、看護師さんたちとの“自分勝手な闘い”、そして、自分自身と向き合うための“闘い”が始まりました。

(つづく)

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