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あんときのデジカメ 日本社会とキリスト教の出会いを考えながら with Canon IXY 30s 2回目

(はじめに)IXY30sの明るいレンズをトライアルしたく、四国学院大学のイルミネーションを撮影してみました。その撮影は日本社会とキリスト教の関係を考える旅となりました。ちょっとだけ学問的な話が多めですが、たまにはこういうのもありですかね。F2.0キヤノンレンズはよく写りますね。

日本社会とキリスト教

 いちおう、キリスト教学を専門とする学者の端くれですので、ちょっとだけ専門的なお話しをしたいと思います。

 日本社会とキリスト教の最初の出会いは、飛鳥時代末期から奈良時代にかけてという指摘があります。高等学校の「世界史」的な話を参照するならば、431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥されたネストリウス派キリスト教が東方で勢力を拡大するなか、唐代の中国で流行しました。太宗の時代、ネストリウス派は「景教」と呼ばれ、その教会は「大秦寺」と呼ばれたそうです。

 在唐時の空海が景教との接触があった云云の話もありますが、いずれにしても、裏付けが難しいのは事実です。しかし、当時の西のコンスタンティノープル、東の西安を中心とする世界的ネットワークの実在に注視するならば、交流があった事実そのものは否定できないでしょう。

 そして戦国末期、ネストリウス派とは異なる「正統」なキリスト教との邂逅は、フランシスコ・ザビエルによってもたらされます。それが1549年のことです。聖職者の堕落、そしてそれによって引き起こされた宗教の形骸化を前に、毅然とした聖職者のあり方は、生活全体を蘇らせる新しい宗教として、意外にも、キリスト教は民衆に歓迎されました。

 しかしながら、この世界の実在よりも、超越的なそれを優先するキリスト教の立場は、為政者にとって厄介なものとして写ったのが事実です。つまり、武士の倫理で言えば、現世的主君よりも超越的な主君、すなわちそれを「カミ(デウス)」を優先することが、日本社会のデファクトスタンダードにとっては驚異と感じられたわけです。豊臣秀吉、そして、その宗教政策を継承した徳川政権の鎖国への布石を参照すれば、その消息はよく理解できるものです。

日本社会は果たして宗教に寛容なのか。

 さて、日本社会が再びキリスト教と出会うのは、明治維新前夜から維新後にかけてのことです。開国後、キリスト教聖職者がふたたび、来日します。そして、それに呼応するかのように、隠れキリシタンが名乗りでますが、弾圧されたことは言うまでもありません。

 俗に日本社会は、宗教に対して蛋白、あるいは、フラットであるという印象で語られます。しかし、イスラム国と対比するわけではありませんが、それとは異なるディメンションにおいて、同じことをやっているのではないかと考えるのは、僕のような宗教を専門として研究する者だけに限定される認識ではないだろうと考えてします。

 要は、宗教に無関心であることが日本社会のデファクトスタンダードであり、何かを熱心に信仰する人間は排除されてしまうというところでしょうか。

 この宗教認識は今もって変わりのないものと僕は認識しています。

 公的にキリシタン禁制の高札が撤去されるのは、1873(明治6)年になります。

 開国と高札の撤去、そして文明開化という時代思潮を背景にキリスト教は順調に教勢を拡大します。しかしながら、思想史的に言及するならば、すべての宗教を無効化する……そしてそのこと自体は現在の思想的眼から振り返れば全く根拠はないのですが……進化論の受容が、キリスト教=文明の真髄ではないこと、そしてキリシタン弾圧と同じ理由になりますが、この世のカミを崇めないこと、すなわち内村鑑三不敬事件によって教勢は足踏みするようになってしまいます。

 恩師・鈴木範久先生が常々仰っていたことですが、以後、日本社会のキリスト教受容は、人口比1%で100年以上推移することになります。その意味では、

 「日本社会においてキリスト教の宣教は失敗した

 といっても過言ではないという話です。

「F2.0キヤノンレンズ」で四国学院大学のイルミネーションを撮影

 しかし、鈴木先生が同時に仰っていたことに注目したいとも考えています。それは、宣教は人口比1%でとどまったとしても、日本社会に「地の塩」として刺激を与えたという意味では、

 「その10倍以上になるのではないか

 ということです。

 要はキリスト教に入信はしないけれども、その影響を多大に受けたのが日本社会であるという話です。

 例えば、「愛」という言葉があります。従来の日本社会では、「愛憎」という言葉に代表されるようにその意義はものごとに執着するような否定的な意義として受容されていましたが、維新後に再渡来したキリスト教の受容は、愛に対して積極的な意味をもたらしました。現在の僕たちが普通につかっている「愛」という言葉の意義は、キリスト教との接触なくして考えられないという話です。

 そして、幼稚園から大学に至るまでのミッションスクールという存在です。キリスト教とは無縁であったものの、そうした学舎に通った方は少なくありませんよね。仏教式の学舎もミッションスクールの設立が刺激になっていることは言うまでもありません。

 ということで、今回は、近所の四国学院大学のクリスマスから新年にかけてのイルミネーションを2010年発売のキヤノンのスタイリッシュラインのIXY30sで撮影してみました。

 「あんときのデジカメ」としてIXY30sを取り上げるのは2回目です。

 広角28mmで大口径な明るいf2.0が本機の特徴ですが、ズームを一切使わずに、撮影してみました。ISO100でほぼ、1/3~1/6のシャッタースピードになります。

 なかなか夜景をブレなく撮影できますね。もちろん、そこはフィルムカメラとは異なるデジタルカメラです。同じシーンを数ショット重ねて選びましたが、深黒に浮かび上がるイルミネーションを的確に記録しているように思います。

 僕的には、……そして「あんときのデジカメ」の基本的な「構え」としては露出補正をしないというフラットさを原則としているのですが……、ちょっとだけ露出を2段ぐらいマイナス補正しておけばハレーションを防ぐことができたのではないとも考えています。

 ということで、つたない写真ですが、ご笑覧下さればと思います。ちょっとだけ、脱線した(あはは、「あんときのデジカメ」もありかなw




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氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。