感想文「都会逃避行 / 雨宮天」
声優・雨宮天さんのEPシングル『雨宮天作品集1-導火線-』より、今回は「都会逃避行」を聴いて今見えてるコトについて。
前回:感想文「TRIGGER / 雨宮天」
まとめ:楽曲感想
いや、ほんと、雨宮さんが歌謡曲でやりたいことがこれくらいのお弁当箱に詰めに詰め込まれているなと感じた曲ですね…(笑)
いやー、ほんと、そのこだわりがあたたかく届いて、笑顔になれたよね。
「ネオンエスケープ」とルビが振られているタイトルの「都会逃避行」。
ここ1,2年、インタビューやラジオで「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」(歌:中原めいこ)の歌詞にある「果実大恋愛(フルーツ・スキャンダル)」が好き、みたいな話を熱量高く届けてくれていたことを思い出しますね。
「TRIGGER」以外の収録曲解禁の時、謎の漢字横文字に謎のルビが振られていて、「あ、雨宮やったわ」って思ったものです…(笑)
今回のEP収録曲、どの曲も歌詞がそれぞれ特徴的な印象深い表情をしていると思うんだけれど、この曲の歌詞はほんとうに「懐メロ」って感じありますよね。
「摩天楼」とか「少女」とか、「体温(ぬくもり)」とか、ミッドナイトとか。
それを言うなら、「メッキ」や「ネオン」、「逃避行」だって。
現代のJ-POPでは聴く機会が減った言葉が多数用いられている印象があるなあと。
その点について雨宮さんがインタビューで触れながら
とお話していて。
もう本当に、「お宮さんやりたいことやっているなあ」って嬉しくなったのでした。
イントロだって、視聴動画で初めて聴いた時、「あ、これは歌謡曲」だってすぐ思ったくらい、音作りの面でも「雨宮さんが歌謡曲でやりたい音」を作られているなというのが印象的で。
ちょっとエレクトリックで、ネオン照らす夜の都会を疾走している感じ。
聴いていると「キャッツ・アイ」みたいな昭和セルアニメのOP映像が頭に浮かぶなあ。
「キャッツ・アイ」と歌詞の内容はマッチしないけれど、なんだか「キャッツ・アイ」みたいな妖しさがメロディーにも、雨宮さんの歌唱にもありますよね。
間奏をはじめ、ギターの音も懐かしい音色で。
なんだか悲哀的な昂りを感じさせる音をしていて好きだなあ。
なるほど、確かに明菜さんっぽい。
「飾りじゃないのよ涙は」とか「十戒」を彷彿させる妖しさを感じますね。
曲のイメージについて雨宮さんが次のようにお話されていて。
「少女が夢を持って都会に出てきたけれど、都会のごちゃごちゃした感じとかウソとかが合わなくて、田舎に帰ろうかなと考えているときの話」、特にこの部分が自分にとっての琴線で。
自分自身も福岡で生まれ育って上京して、同じように地元に帰ってきた組なので、この曲の持つ表情に惹きつけられるものがあるのです。
曲全体の今のイメージは、「夢を抱いて上京した人が孤独感に苛まれ、自分は何を目標に上京してきたのかなとふと当時の自分を振り返るんだけれど、ふと、『ああ、そうか。あなたもそうだったんだね』と、当時の自分と、都会に行くと行って自分を捨てた彼をと重ねる」感じかな。
1番の歌詞では「夢を追って上京してきたあの頃の自分」との交差。
2番の歌詞では「夢を選んで上京し自分を捨てたあなた」との交差。
もっと深くイメージすると、『あなたは夢を追って自分を捨て上京し、そして次第に私たちは疎遠になった。でも、今なら私もわかるわ。あなたもこの街のどこかでこの疎外感を感じていることでしょう。(そんなあなたを、今なら応援できるわ)」みたいな。
東京、確かにたくさんの夢や自由があって、華やかで煌びやかだったけれど、確かに疲れてしまうところもあったよな。
「こうなりたい」と思い続けた夢は、いつだって応募者多数で抽選開始。
時に自分の心にウソをついて、そこら中の工事看板みたいに「ご迷惑をおかけします」と謝ってばかり。
ネオン照らす新宿でふとそんな苛みにいる自分に気がついた時。
「ああ、ここに集う人たちはキラキラ夢を追っている人たちなんだろうなと憧れていたけれど、実際はこうやって葛藤や憂鬱と同居している人たちも大勢いるんだろうな」と目の前の煌めいた景色がガラっと変わった瞬間を、憶えている。
広がっていたのは、遠く夢を見た「都会」の姿とは異なる、ウソの姿。
そこに在ったのは、自分はこんなはずじゃなかったという、ウソの姿。
このプラチナは、首元に身に付けたネックレスかな。
たぶんこの人はバリバリに仕事ができるキャリアウーマン的な人のように捉えていて。
本来そのネックレスがとても似合うようなカッコいい人なんだろうけれど、でもそのネックレスは内心錆び付いて見えるほどに、何かに疲れ切っている様子。
このネックレスがサビに歌われている「白金の鎖」と同じアイテムだと捉えていて、それは後述。
歌詞カード、1・2Aメロ共にそれぞれの言葉が空白で区切られることなく、一文節で収められてるのいいなあ。
感情が言葉を詰まらせるというようなことなく、淡々と場面や光景を捉えている感じがあって好きで。
1番はなんだかギュッと言葉が詰まっていて都会っぽさを感じるし、2番は感情の起伏なく淡々と「あの時代」を振り返っている感じを受けるなあ。
曲全体を通して「中森明菜」の匂いを雨宮さんの歌唱から感じられる楽曲だなと受け取っていて。
インタビューの中でも、作詞・作曲の手法として「中森明菜を自身に召喚し、明菜さんに歌ってもらいながら、ずっと明菜さんのことを考えながら制作を進めた」というようなお話をされている。
僕はとりわけ、このBメロの歌唱の「影を内面に孕んだ感じ」がすごく中森明菜さんへのリスペクトを感じて、その影感にキュッと摘まれるものがあったのです。
1B節の歌詞、哀愁を交えて写実的に描写されていて好きなんですよね。
ネオンに照らされビルのガラスに映る自分と、過去の自分との交差。
「鏡に映る女は誰なの?」という歌詞、「あなた」という音に対して「女」という字を当てているのがすごく好きで。
「女(あなた)」=「ネオンに照らされた今の自分」
問いかけている視点=「ネオン照らされる自分に夢を馳せたあの頃の自分」
あの頃の「少女時代の自分」にとって、今の自分は「あの女(おんな)は誰?」と訝しまれる存在なのだと、自分で気が付く場面のように捉えています。
1サビ部分、「愛」という時に反する「うそ」という読みを与えていて。
この相反する読みを置くのって、すごく歌謡曲ですよね。
先述したように、このサビで歌われている「白金の鎖」は1Bメロにあった「プラチナ」のネックレスかな。
これは着飾りのアイテムだと捉えていて。
というよりは、彼女が都会で頑張った証として手に入れた証なのかな。
煌めく都会で輝くために頑張って、すり減らしながら自分を磨いて。
そうやって少しでもこの街の煌めきに見合うように、手に入れた証。
きっとこの人はすごく「自分でできちゃう」人で、人に頼るなら自立を選ぶタイプ。
でも、それはきっと、自立ではなく孤立を選んでいたんじゃないかな。
田舎から都会に出てきたのだってそうで、自由を得た代わりにそこにまた孤独を感じていて。
抱き合わせなんだろう、孤独と自由はいつも。
でもそんな折にふと、気がついてしまったんだろうな。
何かに疲れている自分に。
何を見つめたくてこんなに頑張ってんだろう、とか。
何にふれてこんなに走ってんだろう、とか。
何を掴みたくて諦めてしまったんだろう、とか。
何になりたくて立ち止まったんだろう、とか。
自分に向けられる愛も「うそ」と感じられるほどに。
そして逃げるようにふと、自分を"捨てた"彼を思い出す。
2番の歌詞は「上京し自分を捨てたあなた」との交差。
きっと彼は別れの時まで、不器用に優しかったんだろうなあ。
そんな彼の選択を、当時のこの人は受け入れられず拒絶し、"捨てられた"と思ってしまったのかな。
そして年月を経て、優しすぎるまでに優しかった彼と、次第に疎遠になっていったんじゃないかなと解釈していて。
でも、たぶんこの瞬間に彼女は気がついたのだろう。
キラキラと夢を追って上京したやさしいあなたも、そのやさしさ故に、この街のどこかで、この疎外感を感じていたのでしょうって。
1番の歌詞にある「愛」やこの2番の「自由」。
それぞれが、感情が駆け出すサビ部分では「うそ」という表情を見出されている点が、なんだか物語性を感じられて好きだなあ。
今の彼女にとって、今感じられている「愛」や「自由」こそ偽りのものであったわけで。
ラスサビの「都会逃避行」のロングトーン。
各サビ内もそうだけれど、ビブラートが明菜さんを彷彿させるような振れ幅の大きなものになっていて。
このビブラートや、前述した「影」を孕んだ歌声もそうだけれど、その表現を用いていることに多大なリスペクトを感じました。
でも単にモノマネというものではなく、雨宮天が歌うこの「都会逃避行」という曲の中で、主人公の気持ちの強さや内面的な憂いを描く装置として、その歌唱表現が見事にハマっていて、だからこそこちらへ訴えかけてくる哀愁や強さがあり、んー、ほんとうに、見事だなと思ったのでした。
いろいろ喋ろうとして最終的に語彙がなくなって同じこと言い出すの、オタクって感じある文面になってしまった。
そうだなあ、そんな世界からの逃避行。
「逃避行」ってなんだか不思議な言葉だよなあと思っていて。
「逃げる」って言葉を現代人だからか後ろめたく使ってしまう。
でも、「逃避行」っていう言葉はどこか愉しげというか心に余裕があるというか、ポジティブな主体性を感じるんですよね。
投げやりな放棄や悲哀的な離脱とかじゃなく、割り切って選択した意志みたいな。
並べられた歌詞にも、歌唱からもその「自分だけは手放さない」というような意志を感じられて、すごく「逃避行」っぽい感じがあるなと思う。
なんだかそのネオンに照らされた背中は、すごくカッコよく映ったなあ
この曲、すごく好きで。
これから喋ることは楽曲の中に登場する人たちなど関係ない、単に自分の気持ちに鳴った音楽の話なんだけれど。
なんだろうな、こう。
「自分にないもの」ではなく「他人にあるもの」に対して、この曲の主人公は寂しいんじゃないかなあと感じていて。
ネオンがきらめく都会、なんでも手に入るごちゃごちゃとした都会。
宇宙で遠くの光りが見えるように、深海で遠くの音が落ちてくるように。
愛や幸福、安寧や温もりが、よその人の中に、よその家の中にあるという事実に、締め付けられるように苦しいんじゃないかなって。
自分が本来持っていた「夢」でさへも、よその誰かの手の中にあって。
自分を捨て上京したあなたも、きっと、よその誰かの腕の中にあって。
雨宮さんがインタビューで
とお話しているけれど、その「都会のごちゃごちゃした」感じを、僕はそう受け取っているのです。
都会ってすごいよな。
都会に出てきた人の数だけ、幸せを願う青い鳥があって。
みんなが願う幸せの分、沢山いるのだ、青い鳥は。
幸せの数は無限にあるのですから。
青い鳥ですら、応募者多数で抽選開始の世の中。
そんで、僕の好きな小説、「スティル・ライフ(著:池澤夏樹)」に次のような一節がある。
この曲を聴いていて、思い出した一節。
きっと彼女にとって、その「都会逃避行」こそ、自分の空気の澄ませ方なんだろうなって。
「逃避行」か。
悪くないもんだよね。
疲れちゃったら、思いっきり空気を澄ませちゃおう。
NEXT…「初紅葉」
雨宮天 1st EPシングル
「 雨宮天作品集1-導火線-」
3月22日発売
雨宮天 カバーアルバム
「COVERS -Sora Amamiya favorite songs-」
発売中
雨宮天 歌謡曲カバーライブイベント
「LAWSON presents 第四回 雨宮天 音楽で彩るリサイタル」
2023年 4月29日(祝・土) Zepp Nanba(大阪)
2023年 5月7日(日) Zepp DiverCity(東京)