天気予報が苦手
天気予報が苦手だ。
あまりに人の思いや願いが押し付けられてて。
天気予報が苦手だ。
晴れた日は晴れた日の暮らしを。
雨の日は雨の日の暮らしを送るだけ。
人の手には届かない領域があって。
ただ、降り注いでくるものを受け止めて、
今も私は、その日を生きるだけ。
雨の日が好きだ。
日本には「雨の日」暮らしに根差した、いくつかの言葉がある。
それらが持つ優しい雰囲気や精神性に、とても心惹かれる。
例えば、「雨訪(あまどい)」という言葉がある。
大雨のあと、知人の家を見舞う九州の方言。
九州は昔も今も台風が多くて、そうやって互いの被害や無事を見に行く習慣、というものから生まれたのだろうか。
雨が降った時。
自分の好きな人たちはどうしているだろうかと、つい見舞いに行ってしまう。
訪ねた先。
「やられたなあ」なんて縁側に出てきて、でも、嬉しそうにしてる顔が好きだ。
そうやって、互いの被害状況を、談笑まじりに話すあの時間。
「雨訪」だなあって感じてる。
雨の日が好きだ。
そんな風に雨を待ったり、降ってきたものに、一喜一憂する時間。
雨詩を催すというけれど、そうやって雨垂調子に言葉を紡いでみたり、時々は雨音と一緒に踊ってみたり。
そんな幸せな時間が降り注いでくるところを、人は空と呼んでいる。
天気予報が苦手だ。
雨雲はそろそろ、こっちへ向かってきてくれている頃だろうか。
次の雨はいつかしらと、地に足つけ見上げるだけ。