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研究経験・国際経験を基にしたキャリア形成

理化学研究所 欧州事務所長
市岡利康

研究者から研究マネージャーへ

私は子供の頃から科学への憧れを持っており、中学生の頃には漠然と物理の道に進むと決めていました。大学院では主に欧州素粒子原子核機構(CERN)での反物質を用いた原子物理実験に関わり、博士課程修了後は自分の研究する原子物理学が大きく発展した現場である欧州を内側から見たいという気持ちから渡欧、三ヶ所でポスドクを経験しました。しかし、その過程で特定のテーマを深く掘り下げる科学よりは、広く様々な分野を繋げるような仕事の方が向いているのではと思うところがあり、苦労しましたが欧州内で転職しました。

限られた紙面でわかりやすく詳細を書くことはできないのですが、基礎物理を専攻し、複数のポスドクを経た後に研究以外の道に進むのは大変でした。企業やら国際機関やら、さまざまな可能性を検討したものの箸にも棒にもかからない状況が続いた中、試行逡巡の末にたまたま辿り着いた仕事が公的な研究開発プロジェクトのマネージャーでした。2008年1月から2年間、スペインの大学でプロジェクトマネージャーとして EU の大規模医療 IT プロジェクトを担当する機会に恵まれたのです。

経験の無い中でのプロジェクトマネジメントは困難ではありましたが、結果的にこれが転機となり、現在まで続く欧州及び周辺地域と日本の間の研究イノベーション協力促進の仕事に繋がりました。秘訣といえるものは特にありませんが、失敗の連続にめげず、多くの公募に即した応募書類を作成している間に徐々に自分の目指したい方向が見えてきた様に思います。3つ目のポスドク時代、「あと半年だけヨーロッパで転職活動をしてみよう。それでだめならば日本に帰ろう。」という期限を自分で設定し、その期限間近に手に入れたポジションでした。

この時に担当したプロジェクトは、医者や看護師、IT企業やデータ研究者、物理学者、生物学者、遺伝子解析の専門家、法律の専門家など多様な方々・組織が関わるものであり、研究の中身を統括するコーディネーターとともに、予算・時間・成果物を管理するプロジェクトマネージャーの仕事は大変重要でした。比較的小規模の基礎研究分野の方々にとっては、マネージャーというと「ろくに仕事せず人の尻ばかり叩いてる」というイメージを持たれがちなのですが、特にこうした学際的なテーマや社会的課題への取り組みについてはステークホルダーが多様であることから、マネジメントは特定の分野の研究者等でなく、マネジメントのプロが行うのが適当であるということ、その役割の意義を痛感しました。

様々な機関での研究協力促進

その2年後、プロジェクトマネージャーとしての仕事はそれなりに軌道に乗ったものの、プロジェクト終了後の職を探す必要が生じ、複数の可能性の中から日欧産業協力センターという経済産業省と欧州委員会が共同管轄する組織において日欧科学技術連携の促進を行う仕事を選択、9年ぶりに日本に帰国しました。本当は日本での転職は考えていなかったのですが、たまたまネットサーフィンをしていて日欧産業協力センターのウェブサイトが目に留まり、しかもその時に「プロジェクトマネージャー募集、日欧を科学技術で繋ぐ仕事」という公募が出されていて、これは自分が取るべき仕事だと確信したものです。

それまで日欧のビジネス政策対話支援、欧州のビジネスマン向け研修事業や理工系学生向けのインターンシップを手がけていたセンターが、日欧の科学技術連携促進のEUプロジェクトを公募で獲得し、科学技術分野での協力促進にも力を入れ始めるタイミングでした。5年以上に渡ったセンターでの在職時には、自身でEUプロジェクトのマネージャーを務めた他、EU のフレームワークプログラムに関する日本のナショナルコンタクトポイントを設置し、最初のコーディネーターとして活動したり、日本の某省の研究プログラム支援の調達などもしました。

この辺りまでくると、自分の仕事の方向性がEUを軸とする欧州との連携促進にあることが見えてきました。続いて所属した科学技術振興機構 (JST)では国際戦略策定及びその実施に向けた活動を行うと同時に、特に欧州担当として情報の収集や分析、新たな連携の提案を行いました。そして2018年11月、新設された理化学研究所の初代事務所長として着任し、2019年9月にはベルギーに赴任、現在に至ります。日欧の政府系機関、日本の資金配分機関、そして総合的な研究機関、それぞれの観点から一貫して日欧の連携構築・維持・発展に関わってこられたことは大きな喜びであり、年齢的に今後の転職の数は限られているものの、この流れに沿って更にいくつか挑戦したいと考えています。

様々な問題を抱えつつも、多様性を尊重し、透明なやり方で国際社会を先導しようとしている欧州のビジョン、また長期的な視野に立ち、様々なステークホルダーを巻き込みつつ着実かつ系統的に物事を進める欧州のやり方には学ぶ面がたくさんあります。持続可能な発展のためのイノベーション、また特にSDGs の様な世界共通の目標の達成に向け、専門家、一般市民を問わず幅広い人々を糾合してアジェンダ設定や研究開発、価値創出を行うことが盛んに行われつつあり、その意味でもヨーロッパには見るべき部分が多く、また協働の良い相手であると考えています。

特に若い世代の方々へ

私は、研究者のバックグラウンドを持った上で研究以外の道に進みましたが、研究者の話す言葉を理解できることは、研究マネジメントに際して大きく役立っています。このような、研究以外の職の重要性が今後増すものと確信しています。

日本の科学技術の停滞が言われ、産業競争力の強化や社会的課題の解決など様々な課題が山積しています。日本の社会がシステムとして大きく変化しなければならないと考えられる一方、一向に変わらないという現実があり、歯痒い思いをすることがしばしばです。

若者人口の減少もあって、若い世代の方々にかかる負担は並大抵ではないと思いますが、研究を極められる方、技術で社会に貢献をされる方、コミュニケーターとして社会との対話を促進される方、俯瞰力を活かしてマネジメントをされる方などなど、個人の特性や関心に基づく、様々な可能性と活躍の場があると思います。受け身でなく能動的に、変わらない上の世代や社会システムに対して根本から疑問を呈し、自ら変革する意欲に期待するとともに、私もまた、自分の立場でできる挑戦を続けたいと思っています。

異なる環境に身を置くということ

最後に一点、多様性と自分を客観的に見るという意味から、外国にしばらく暮らすことを強くお勧めしたいと思います。積極的に自分がマイノリティーになる経験をすることは、少なくとも私にとっては決定的に重要なものでした。もちろん、国外でなくてもこうした体験をすることは十分可能ではありますが、自分はどこから来て、どういう文化背景を持っていて、どの様に考え、どの様に生きるのか、考えさせられることばかりです。

例えばラトビアの首都リーガに暮らした時には、非常に美しい旧市街の中心に立つ自由の記念碑の下でラトビア人が独立のために戦った先人に思いを馳せる一方、街を流れる川、ダウガワを挟んだ向かい側にはソ連の戦勝記念公園があり、時期になると旧東側諸国に特徴的な巨大なモニュメントに献花するロシア系の人々の長い列が出来るのを目にしました。ラトビアの首都でありながらロシア系住民が多数派という状況の中、ラトビア人はどういう気持ちなのだろうと複雑な気持ちになりました。その一方で、ソ連領時代には特権階級であったであろうロシア系住民の中には、ロシアに移住もできず、ラトビア人としても認められず、国籍の無い方が多数いる事が長年の問題になっています。自分ならどう考えるか、どう行動するか、答えが出ないことも多いです。

時には露骨に差別されることもありますが、日本人として海外に暮らすことで、マジョリティーとして、同質の環境で(時には窮屈さを感じるとしても)心地よく生活している時にはなかなか気づけなかったことに多く目を向けられる様になったと思います。その意味で、欧州(の特に中小国)には大きな魅力があると思います。

私自身について言えば、滞在許可を得ての長期滞在という意味では、現在のベルギーが欧州5ヶ国目になります。欧州各国は似たところもありますが、それぞれに違いも大きく、ベルギーにはベルギーの文化や慣習があって興味深いです。また、ヨーロッパの人達は、驚くほどお互いのことを知らないことも実感しています。

転職を繰り返し、既に10回以上の引越をしたことは、生活という意味では厳しかったですが、欧州内に「帰ってきた」と思える場所が沢山できたこと、そして何よりも世界中に友人ができたことがかけがえのない財産です


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