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3回目のボストン長期滞在研究生活を終えてのキャリア雑感

国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所
精神薬理研究部 分子精神薬理研究室 室長
三輪秀樹

海外研究先:
2019-2020 Massachusetts Institute of Technology
2015-2018 Havard medical school


いつ頃今のご職業につきたいと思ったか?

小学校です。小学校の卒業文集に「将来の夢は?」という寄せ書きに「教授」と書いてありました。当時の記憶は全くなく、どういういきさつで教授になりたいのかわかりません(まだなれてませんし・・・)。「教授」という役職を書いているのは参考にしてはいけませんね。研究分野を書くべきです。専門内容に関しては高校のときに、自分の存在について考える過程の中で、脳のことに関わる仕事に就きたいとは考えるようになっていました。

現職に至るまでの経緯

東京工業大学を学部で卒業し、神経科学を研究したく、脳の研究をしている研究室が多いのはやはり医学部がある大学ということで、修士課程から東京大学大学院に進学しました。学位取得後、すぐに留学したかったのですが、チャンスに恵まれず、慶應義塾大学医学部でポスドクに職を得ました。1年後に留学の機会を得たのですが、ちょうど同時期に群馬大学医学系研究科での助教のお誘いがあり、留学をすべきか、安定した国内のポジションを選ぶべきかと悩みましたが、「1人学生さんの学位取得を指導したら留学してもよい」「日本国内は一度アカデミアの役職に着くと降格することはほぼない(残念ながら現在はありえる)」という考えに至り、群馬大学での助教のポジションを選びました。しかしながら、地方大学は中央の大学とは研究環境が異なり、想定通りに行かず、半ば留学を諦めていた矢先に、責任著者の論文を出版することをきっかけに、上原記念生命科学財団の海外留学助成金に採択され、米国・Harvard Medical Schoolに留学することができました。新たな環境で新しい分野を吸収し、ステップアップしようと考えていたのですが、滞在して2年後にPIが急逝し、契約更新が叶わず、仕事も途中で帰国せざるを得ないという状況になりました。留学中の業績はなかったのですが、幸い、現職に就くことができました。このように、夢半ばにして帰国したこともあり、「研究留学」というものが不完全燃焼という気持ちが強く、帰国後は海外共同研究に関する予算を獲得したりして、再びボストンに戻り、Massachusetts Institute of Technologyで共同研究を実施したり、なんとか払拭できる程度にまで至っています。つい先日も、同じボストン市内にあるTufts Universityで、2ヶ月間滞在し、引き続き共同研究を行っていました。

就職に成功した秘訣は?

自分にしかできない研究手法・テーマをもつことと、自分の仕事を理解・評価してもらえる人的ネットワークを持っている、また関連するコミュニティ活動(研究に限らず)へ貢献していることだと自分なりに理解しています。

他の進路と比べて迷うか?

幸か不幸かわかりませんが、大学院時代以来、研究テーマや環境(人間関係含む)に恵まれていたために、他の進路を選択するべきか?と迷う機会を失っています。

今の生活に満足しているか?

人生浮き沈みはつきものですが、平均的には満足しているかと思います。

生きがいや夢は?

難しい内容ですね・・・。多くの人が楽しく自分らの夢を実現できるような環境づくりをしたいと考えています。

若者へのメッセージ

何か参考になるようなことを言える立場にはいませんが、自分のキャリアを切り開くのは自分です。こういうキャリアになりたいという理想像があるのであれば、それに近い環境に自ら近づくしかないです。そのような環境に近づくために、人的ネットワークの形成と、いざチャンスを貰えそうになったときに、チャンスを自分のものとして手元に引き寄せることができるような実力を日頃から自己研鑽により蓄えていくこと(タイミングとマッチング)が重要かと思います。自分がいる現在の居場所に満足するのではなく、とことん「環境」にこだわってほしいです。


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