見出し画像

きださおりオタクを演じた話

;

「明けない夜がないように、太陽もいつか暮れるんだよ。
だから大事なのは、次の夜をどんな気持ちで迎えるか、だと思う。」


このエントリは、うじを氏による「謎解きクラスタによる謎以外のAdvent calender 2024」のために書き下ろしたものである。
うじを氏が例年開催してくれるこのアドベント企画に、私はよくエントリしている。とはいえ、いつもはエントリーしてから何を書こうか頭を悩ませていた。しかし、今年に関しては書くことが明確にあったので安心してエントリすることができた。

株式会社夕暮れ

それは「株式会社夕暮れ」設立イベントについてである。
そのイカれた会社案内の全容についてはここで説明してもややくどい。電ファミニコゲーマーさんが記事を残してくれたのでこちらを参考にいただければと思う。

この設立イベントに、私は、いち一般人、否「きださおりのオタク役」として演者として参加することになった。わずかなリアル脱出ゲームのボラスタ経験を除いて、人生で舞台に立ったことなど一度もないただのおじさんが、どうしてそんなことに至ったのか。
その顛末を振り返りつつ、その参加に向けて私が制作したものについて、一部非常にニッチながら『もう少し中身を見たい』との声があったので、ここで供養したいと思う。

物語の始まり

きっかけは、きださんのひとつのツイートだった。

きださんとはかれこれ、10年超の交流となる。きださんがこんなことを言い出したら、そりゃあもう面白いことが待っているに決まっている。
中身についてはなんの想像もつかないまま、自分のモットーである「面白そうなことを選べ」に従い、募集に応募してみた。
その数日後。

あたりまえでしょうアナタ。ご自身のリアルイマーシブ力(ひとをまきこむすがた)に無自覚すぎます。こんなん、日々面白いことを求めてやまない人間が食いつかないわけないでしょうに。
という感じでこの時点で激戦の予感を察し、これはまあ、ただのおじさんの出る幕はないだろうと踏んでいたその9日後。

「 当 選 」 (゜А ゜)

しかもきださん直々のコメントみたいなの書いてある。なになに、企画概要は…
「きださおりの古参オタク役」
「ヒミツキチラボの墓守」
「過去のさおりん制作物を見ながらオタ芸」
「アイドルオタクっぽいグッズやうちわ」
「と ん だ い か れ イ ベ ン ト だ」(゜А ゜)

爆笑するとともに、納得した。そりゃあ、激戦を制して我々に声がかかるわけだ。きださんがやろうとしていることは、「あの頃」のままだった。まあ、だったら、「あの頃」を知っている我々が、役に立つだろう。

あの頃

実は、初めに整理しておくと、"我々"は厳密には「きださおりオタク」ではない。
衝撃の書き出しから幕を開ける。どういうことか。

2011年にS社に入社したきださおりが存在感を現してくるのは、2012年の中ごろからである。原宿で、当時から一部で大注目のアイドルだったでんぱちゃん(でんぱ組.inc)の衣装を探させてシークレットライブにご招待したり、カラオケででんぱちゃんと謎が解けるイベントを作ったり、あまつさえその主題歌を作詞したり、当時人気絶頂のアイドル渡辺麻友が東京ドームシティに閉じ込められる設定のリアル脱出ゲームを作ったり、原宿ヒミツキチオブスクラップ(現:リアル脱出ゲーム原宿)で「ツギクルアイドルナイト」と称して今や大河女優のファーストサマーウイカが当時所属していたBiSというアイドルグループを筆頭に、次代を担うアイドルを各アイドルの関係者にセルフプレゼンさせる企画を実行したりと、このころからだいぶやることやってる感じであった。
ともあれ、当時主流だったオンライン配信「Ustream」で、S社の放送があるといつの間にかタカオの隣に座ってるようになった女性。それがきだ・・・当時の吉村さおりであった。
その時点では、吉村さおり個人のファン、というのはほとんどいなかったと思う。当時S社のクリエイターは一般人の前に露出する機会はほとんどなかった。(まだギリギリ、タカオの「ざまあみろ」を聞けた時代である)

その距離感が急変したのは、二つの要素。「パズルガールズ(パズガ)」と、「ヒミツキチラボ」である。
前者は、タカオが思い付きと嗜好で始めたものの早々に事業計画から外されかけ、吉村さおりがプロデュースを引き取ったアイドルプロジェクト。
後者はS社が実験的空間として用意し、吉村さおりが室長として様々な企画を実現させるコンセプトで道玄坂上に設けられた新イベントフロア。
我々はこの二つのコンテンツを通じて、きださおりオタクではなく、さおりんという存在に囚われたのである。

2014年にあえなく活動休止を迎え、今年10回目の冬を迎えたパズルガールズのことや、ヒミツキチラボで日夜興奮とともに繰り広げられた破天荒なイベントの数々について、ここでは筆を進めることはしない。
ただ、多かったとは言えないパズガファン(パズルピース=パズピ)や、ヒミツキチラボを愛し通いつめた人間(ラボっ子、ラボピープル=ラボピ)にとって、その日々はかけがえのないものであり、個々のイベントの主催や、推しのパズガとは別に、その中心には、常に「さおりん≒吉村さおり≒きださおり」があった。
彼女の破天荒さ、クレバーさ、人材活用力(こき使い力ともいう)、謎解きやアイドルの世界に「情緒破壊」という要素を持ち込んだこと。そしてなにより「面白いを創り出す力」に、10年前からずっと感染し、囚われ、魅了されている集団が、我々なのだ。
彼女にとっては一言でいえば「きださおりのオタク」なのだろうが、我々被害者からすればそのように軽い表現で済む話ではない。
いうなれば、「魂の虜囚」「きだ一次感染者」なのである。

2024年、冬

そんなきださおりから直々に「あの頃の亡霊要素を持ち込んで参加して!!」と期待されれば、その期待に応えないわけにはいかない。
我々、きだの感染者にはそういうところがある。きださおりが、手の内を知っている我々に寄せる期待(しかもかなり適当に!ぼんやりしたもの!!)があるのであれば、我々は「なぜベストを尽くすのか」とばかりに、それに反射で応えてしまうのである。義務感ではなく、そうするのが自然の礼儀ととらえており、なにより楽しいからだ。

だから、今回のイベントのスタッフが集まった最初のオンラインMTGで「きだオタクはこれから本番まできだのことしかつぶやかないように!」というきださおりの無茶ぶりに、即答で「御意!!!」と答えてしまうのである。これは私でなくても、ほかのどのきだ感染者も同じ反応をしたはずだ、というのは想像に難くない。実際にやるかはどうかは問題ではなく、そういう反応をするのが自分やきださんや周りにとっておもしろいと判断できるから、反応してしまうのだ。

というわけで、私はそれ以来、Xにおいて自身のきだ論をちょっとずつつぶやいたり、「きださおり教を立ち上げてイクソザン教に対抗しないと」とぶち上げたり、過去の自分のきださんに関するnoteを再掲したりした。

そして本番では、全10スライド(fix版)の、「きださおり神格化計画」というプレゼン資料を勝手に作成した。
きださんに許可はおろか、どういうテイストの資料にするか、すら認識合わせせずに。「まあ事前にXでも宗教化についてつぶやいとるし、こんな感じならNGが出ることないやろ」というノリである。

以下に内容とその補足を記す。なおスライド内容は、本番を進めながら(あるいは本番が終わった後も)最新化を進めたため、本番講演とは記載の細部や順序が異なっている。

スライド

一般的な企画趣旨である。計画のタイトル、実現方法の概要を述べている。
実行プランについて具体化したものである。
人を神、あるいはそれに近しい存在たらしめる方法としては、逸話(説話)による補強が非常に有効である。過去の神話的存在を例に、エピソードによりその神性を強調することにより、普通の人とは違う、神に近い存在だと認識させるのである。この際、事実かどうかには意味がない。なかったことでも繰り返し事実のように言及することで、あたかも事実であるかのように錯誤させることができる。たとえば鴨川べりのエピソードは過去の記事も含めてひたすら私が憶測で述べているだけだが、人が複数の記事で同じ内容を目撃したり、またAIが事実の記述であるかのように情報を誤取得(これをAIポイズニングという)させ続けることで、やがて信憑性をもって取り扱われるようになるのである。
このスライドは、きだの神格化論そのものとは実はあまり関係がない。一方で、このスライドをもってきださおりの産み出すものの神威を示すことができる。きだの物語の出発点には、絶望がある。これが彼女の紡ぐ物語構造の第一ポイントだ。残酷な現実や過去におかしてしまった後悔や慚愧。そうしたもので埋め尽くされた世界から物語は出発し、そこに、自分以外の何か、英語圏でいう"Manic Pixie Dream Girl"のような存在の力によって奇跡が訪れる。奇跡の力で一度世界は前向きに変わるが、それでめでたしめでたし、とはならない。奇跡は終わりを迎える。ここが二つ目のポイントである。単純なハッピーエンドを許さない。その時、主人公は自ら、現実と対面し、覚悟を決める。何かを選択したり、自分の弱い心と対峙する。それによって、奇跡が終わりを迎えても、世界には、あるいは主人公には、昨日までとは違う夜が訪れる。それこそがきだが世界にもたらす福音なのである。
きださおりという存在は、実は個として存在しているにとどまらない、あるいはそうなるべきである、というのがこのスライドである。きださおりという存在に一次感染した我々のような人間は、繰り返しの"救済"により崇敬から信仰(虜囚)に至っている。この信仰はきださおり本人というよりも、遍く存在する「きだ的なもの・きだのエッセンス」に対する原始宗教のようなとらえ方で世界をとらえている。我々はそうしたきだ的なものの布教を進め、より多くの人間にきだらしさとはなにか、ということを伝えていく。そのうえで本質としてきだによる"救済"が与えれることによって、我々が100の言葉を飾るよりもよりいっそう深くしみこんでいくのである。
きだ的なものをうまくとらえる方法についての案である。遍く存在する、形而上の概念としてのきだ的なものは、そのままでは一次感染者はさておき、二次感染者以降にその観念を伝えるのは難しい。それゆえに、たとえばアクリルスタンドによる「偶像化」や、夕暮れ/マジックアワーという情景をもって「きだ的なもの」を想起させるという物理的アプローチによって形而下に引き込むことが肝心であると謳っている。
信仰において儀式は必要なものである。12月になると街にクリスマスソングが溢れるように、世の中や多くの人が同じ"儀式"をすることによって世界はクリスマスを知覚する。そしてその存在をゆるぎないものとしてとらえるようになる。同じようにきだがこの世界に顕現した日を多くのきだ信者に意識させることによって、きださおりの認知が世界に広まっていき、やがて普遍的きだとの境界が限りなく近づいた状態になる。これこそが宗教の到達点であり、目指すべき位置づけになる。

終わりに

本編では、これらのスライドのどこかを表示させつつ、内容について若手社員に偏執的に熱く(時には白熱のあまりサイリウムをへし折りながら)語っているところをインターン生に目撃され、困った若手社員がインターン生を引き込んで健全な"きだ社長勉強会"ことクイズ大会のほうに引き込んでいく、、という物語の大事?な導入シーンを演じた。

改めて、このエントリを書ききってみて、よくここまで意味の分からないものをそれっぽく語り続けられたなと自分で笑ってしまうが、まあ「それっぽさ」は十分演じられたようで、おおむね好評だった模様。

どうも「あの変な奴らはどうやって演技指導したんだ?」と社長に聞かれることがあったそうだが、はい、素です。はい、本人未監修です。

「わたしは好きにした。君らも好きにしろ」という名文句がありますが、好きにさせてくれる機会を与えてくれたきださんに、改めて感謝して、このエントリを閉じます。


(ここにアクスタの写真が入る)

おしまい

いいなと思ったら応援しよう!