膝枕〜君と僕の物語 𝕔𝕙𝕒𝕡𝕥𝕖𝕣.𝟙
「膝枕〜君と僕の物語 𝕔𝕙𝕒𝕡𝕥𝕖𝕣.𝟙」
休日の朝。君の膝枕で眠っていた僕は、チャイムの音で目を覚ました…
僕より先に玄関ににじり着いた君は、何か特別なものがやって来たとでもいうようにピョンピョンと小さく飛び跳ねている。
ドアを開けると宅配便の配達員がダンボール箱をかかえて立っていた。
「あ...」と思わず声が出た。
目の前にいたのは、最初に君を届けてくれたあの無愛想な配達員だったのだ。
ダンボールはノートパソコンでも入っていそうな大きさだが、受け取りのサインを求められた伝票には「脚立」と書かれていた。
「脚立...」
何故脚立なのだろう...と思いつつ箱を受け取ると、配達員は顔を上げゴクリと唾を飲み込んで、意を決したように口を開いた。
「あの...あの子、元気っすか?」
あの子...と一瞬考えてすぐに君のことだと察したが、果たしてなんと答えればいいものか迷っていると、いつの間にか君は僕の真横にいた。
配達員の男に向かって、お辞儀でもしているかのように膝をきゅ〜っと閉じてみせる。
「はぁ〜よかった。もう大丈夫なんすね。俺...いや僕、この地域の担当なんで困ったことがあったらまた遠慮なく言ってくださいっす」
膝を折り曲げ君に視線を合わせてそう言った配達員の男は、あんなに無愛想だったのが嘘みたいに、ニカッと白い歯を見せて笑ってみせる。
君は「ありがとう!」とでも言うようにぴょんっと飛び跳ねた。
部屋にダンボールを運び込み、思わぬ届け物に戸惑う気持ちを抑え、爪でガムテープを剥がす。カッターで傷をつけるようなことがあってはいけない。これは記念すべき君の初めての買い物なのだ。
箱を開けると僕が想像していたものとは違い薄くコンパクトな折りたたみ式の脚立が収められていた。
オフホワイトで丸みを帯びたフォルムのその脚立は、足の部分を開くと自動的にパタパタと3段の足場が開く。脚立というよりは…あの見せる収納ができるとかいう棚…なんて言ったっけ…そうだ、シェルフみたいだ。観葉植物を並べたら絵になりそう。しかもこの脚立驚くことに、二本指でひょいと持ち上げられるくらい軽量。
「へぇ、脚立も進化しているんだねぇ」
感心してそう言うと、君は「すごいでしょ!」と言うように少し自慢げにパチパチと2回、膝を鳴らした。
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1ヶ月ほど前、サポートセンターからメールで有償アップデートのお知らせが届いた。
内容は、膝枕本体がWi-Fi機能を搭載しインターネットにアクセスすることができるというものだった。
これにより膝枕本体から直接ネット通販で商品を注文することができるようになる。
僕は迷わずアップデートを選んだ。
何故なら、君が必要なものを自分で購入することができると思ったからだ。
アップデートをしてからの君は、尋常じゃないスピードで一日中何かを学習していた。10日ほどが過ぎ、君が自分の意思ではじめて注文したのが...この脚立というわけだ。
翌朝、眠たい目を擦りながら布団から出た僕は、君が脚立を欲しがった理由を知る。
「これ、もしかして...君が作ってくれたの?」
折りたたみ式の小さなテーブルの上には、少し焦げかけたトースト、ベーコンエッグ、そしてスープが並んでいた。
キッチンの方を見るとコンロの前で、脚立が自分の手柄だとでもいうように偉そうに仁王立ちしていた。
テーブルの向こう側の君は、モジモジと膝を擦り合わせて僕の様子を伺っている。
自分のために誰かが用意してくれた食事を摂るのはいつぶりだろう。
「いただきます...」と僕はいつもより丁寧に手を合わせた。
インスタントのコーンスープがこんなに優しい味に感じたのは初めてだった。バターが染み込んだトーストを一口齧る。
「おいしい...」
思わず口からこぼれた言葉に君はホッとした様子で、その後は僕が食べ終わるまでずっと嬉しそうに小さく膝を弾ませていた。
僕は君が自由に使用できる限度額を2万円に設定した。
「これで好きな洋服や必要なものを買うんだよ」
そう言ったのに、君ときたら食材や調味料、ランチョンマットにカトラリー、柔軟剤などの生活用品を買い、自分のものと言ったらフリルのついた白い腰巻きタイプのエプロン一枚だけだった。
料理中の姿を見られることをひどく嫌がって、料理をする時はいつもキッチンへ続く扉を閉めてしまった。
扉の向こうの君は、どんなアクロバティックな格好で料理をしているんだろうか...
見たい気持ちを抑え、開けてはいけない扉を、僕はじっと見つめ続ける。
「これじゃあまるで、鶴の恩返しじゃないか」
思わずつぶやき、僕は頭に浮かんだ脚立の上で奮闘する君の姿を掻き消した。
あっという間に君の家事スキルはメキメキと上昇し、カレーやオムライスなど定番料理はお手の物。食材はきちんと使い切り、必要に応じてお弁当まで持たせてくれるようになった。お風呂上がりには柔軟剤のいい香りがするバスタオルが用意され、布団はふかふかでお日様の匂いがした。
綺麗に整えられた居心地のいい部屋で待つ君に1秒でも早く会いたくて、僕は毎日飛んで帰った。
玄関で待つ君に「ただいま」というと「おかえりなさい」とはずんだ声が聞こえるような気がした。
ある日、ふと見てみた注文履歴の「絆創膏」という文字に僕は首を傾げた。心配性な母が送ってくれた新品の箱があったはずなのに...と救急箱代わりの棚の引き出しを開けると50枚入りの未開封の箱があったスペースには新しい絆創膏の箱があり、しかも封が開けられていた。
僕はハッとして、君を呼んだ。
「こっちに来て膝を見せてくれる?」
緊張した様子の君は、初めは躊躇していたが、やがて観念したように膝を差し出した。
君の足の指や甲に絆創膏が何枚も貼ってあった。きっと火傷をしたり、包丁で切ったりしたのだろう、血が滲んでいる。他にも脚は打ち身や擦り傷だらけだった。
「こんなになってまで、毎日僕のために家事をしてくれていたの?」
料理、洗濯、掃除...腰から下だけの君が僕のためにこれだけの家事を習得するには、どれだけの努力が必要だっただろう...
一度は君を手放そうとした身勝手な僕なんかのために...君は...
いつの間にか僕の目からは涙が溢れていた。
自分が傷ついてまで僕のために尽くしてくれるこの行動が、この愛情が、プログラミングであるわけがない。
そっと君の脚に触れた。柔らかだったふくらはぎには、いつの間にか筋肉がつき程よい硬さになっていた。
ヴァージンスノー膝が自慢の「箱入り娘」とは名ばかりになってしまった傷だらけの脚が恥ずかしいのか、君は不安気に膝を硬く強張らせた。
脚を伸ばしたままの君の膝にそっと頭をあずける。
暖かい君の膝…エプロンからは僕の服と同じ柔軟剤の香りがする
「君が...好きだ。...大好きだ。」
気持ちが溢れるってこういうことなのかなと思った。恥ずかしさよりも先に想いが口から出て、温度のある音になった。こんな風に言葉にできたことに、自分でも驚いた。
君は照れているのか膝がどんどんピンク色に染まってゆく。
「こういう言葉、初めて口にしたけど...やっぱりちょっと恥ずかしいね」
心なしか耳から伝わる君の膝の温度が上がって熱くなった気がした。
言葉を持たない君が僕に愛を囁くことはない。
抱きしめあったり、キスをしたり、そんなコミュニケーションで愛を確認することはできない。
それでも、僕は君の愛情をとても感じている。
自惚れているだろうか...
君が僕を想ってくれているのと同じくらい僕も君が大切。
「これからもずっと2人で一緒にいよう」
君の膝にキュッキュッと2回力が込められた。
僕の頭はますます君の膝に沈み込む。
かつて味わったことのない、泣きたくなるほどの幸福感が僕を包み込んでいた。
𝓯𝓲𝓷
「膝枕」とは・・・
人気脚本家の今井雅子先生がnoteに公開された短編小説です。
この話を元に書かれた創作小説は180作品を超え、音声SNS Clubhouseでは毎日誰かがこの「膝枕」及び関連作品を朗読する膝枕リレーが続いています。
この膝枕リレーは2023年5月31日に2周年を迎えました。
今井先生からの一声で・・・
膝番号17番。
(膝枕リレーの1番目の読み手)
clubhouseのルームでこの「膝枕」の読み手を募ったところ殺到したのですが、朗読が苦手な私は裏で先輩に「チャレンジしたら?」と勧められるもスピーカーに上がらずアイコンの気配を消していた(つもりだった)のですが、今井先生の「あれ?ういよちゃんは?ういよちゃんにも読んで欲しい」のお言葉。
脚本家の先生自ら言っていただけることなんてなかなかない!とチャレンジすることに。
2021年6月5日、役者としてご活躍の夛華正幸さんとのコンビでそれぞれ朗読させていただきました。
純愛膝枕
既に同じ作品を読んでいる人が何人もいる中でどうしたら楽しんでもらえるだろうか・・・と考えアレンジしたものが男も膝枕のことを本気で好きになるという「純愛膝枕」でした。
今井先生がこれを聴いて書いてくださった感想と、その際に生まれたお話がこちらに公開されていますのでぜひご覧ください。
(私の汚い手書きのキャラクター設定メモも・・・)
その後のふたり・・・
キャラクターメモにもあるとおりその後の二人のことも妄想していてそのお話を今井先生にしたところ「いつか書いてください」と言っていただいたのに約2年が経ってしまいました。
膝枕リレー2周年に間に合ってよかったです。
chapter1は、今井先生の正調膝枕へのリスペクトを私なりに入れています。
chapter1としているのは、実は妄想はまだまだ先までできているからです。
いつか続きをきちんと書けたら公開したいと思います。
最後に・・・
このような機会をくださった今井先生、ありがとうございました。
そして以前途中のこの稚拙な原稿を音読して協力してくださった徳田祐介さん、フジタミホちゃん、ありがとうございました!
膝開きは「膝開き王」の肩書を持つ徳田さんがしてくださることになっています。また膝バディの夛華さんも読んでくださるとか・・・感激です!
最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。