[7] ほの字でした お熱でした
あーーー占い師に言われた「あなたはこの夏、運気いいわねぇ~」の「この夏」が終わってしまいそうな9月上旬。というかこんなくそ暑くても「9月」は夏とはいえないのではないか?秋ではないが夏ではない気が...そんな声が聞こえてきたが無視した。言霊信仰、本人が夏だと思えば夏です。
わたしにれっきとした恋人はもう2年くらいいない。このままひとりぼっちで孤独死するのが怖くって、手当たり次第マッチングアプリを再インストールした。今度はちょっとチャラそうなやつも入れてみた。何が起こるかわからない、ものは試しだ。
そのチャラそうなアプリは、ちょっと目を離した隙に「いいかも!」が数え切れないくらい来ていた。よくみるとその数99+。チャラそうなやつは無料で「いいかも!」ができるらしく、みんな安易に「いいかも!」してくる。それも私と決して交わることのないような人ばかり。シルバーネックレス、助手席から見る横顔、木の札乗せた生肉......
私はすごい速度で左にスワイプした。
ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう
もちろんはじめはプロフィールの内容に目を通したがすぐに時間の無駄だと気づいたからだ。だんだん動体視力が鍛えられていく......
シュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッシュッ......シュッ...!
突如、白黒の世界にふんわり浮かぶくるくるの長い髪の男の子が、ほわっと浮かび上がった。それは急だったが本能的に指は止まった。プロフィールに目を通すとそれはあまりに簡素的なものでまったく謎めいた様子だった。写真もベールに包まれていてはっきりと輪郭は見えないし、長い髪で左目は隠されている。口元はぼかしの加工が入っていて挙げ句に眼鏡は斜めに曲がってかけられている。
わたしの胸はドキドキした。
なんじゃこのひとは?
音楽の趣味のタグを見るとはじめて目にする単語ばかり。読書も趣味だそうで江國香織が好きだという。共通点。これで話しかけるしか手がない。
わたしは自分の熱が高まっていることを悟られないよう、余裕を含ませた口調で、江國香織、私も好きです。と話しかけた。
すると親しみやすそうな雰囲気で返信が来た。語数は予想通り少なめ。私も相手に合わせて、長引く文章を添削し短めにサラッと返信する。ひらがな多めの可愛らしい口調なので、あの白黒のプロフィール写真がよりふわふわして見える。
好きな作家の話なんてすぐに尽きて、というかご本人のことがまず知りたくて、わたしはひとつずつ質問を投げかけていった。知りたいことがたくさんあったけど、めちゃくちゃ我慢して先を見据えながら計画的に聞きたいことを、たったひとつずつ選んで送った。
大学で写真の勉強したんですか?
好きなたべものはなんですか?
今日のお昼ごはん何食べましたか?
じゃあ夜ごはんは?
兄弟はいますか?
パーマかけてるんですか?
ヘアオイルなに使ってますか?
子どもの頃から自分のこと僕って呼んでるんですか?
圧倒的一方的な質問攻めだったがひとつずつ慎重に選んだおかげで、返信は途切れることがなかった。あっちからはわたしに何の質問もないので、ついでにこちらからわたしの情報も織り交ぜて返信してあげた。それに対する返信は特になかったが、会話が続くことにわたしは大きな満足感を得ていた。
それからきまって毎晩23~24時頃にメッセージを交わすようになった。リアルタイムで返信が来ると、君とわたしが今この瞬間、通じ合っている感覚がした。高揚した。
時たま、あの白黒の写真を眺めてうっとりした。それ以上それ以下でもない写真。そこにいたということが収められている。もっともっと何でもいいから知りたくて隅々まで凝視した。
くるくるの髪の毛、パーマはとれかけているが元々すこしくせっ毛だという。おでこは平らなのにつるんとしていて、狭い面積であることがいじらしい。目はおそらく一重まぶたで、すこしたれ気味。眉もなんだかふわふわしていてやさしい毛なみ。鼻は主張しない小ぶりなものだが、先はまるみを帯びている。上下同じくらいの薄めの唇はひそかに色気を放っていて、ちいさく角張った顎が僅かに男らしさを滲み出す。どうにか映った右手の人差し指と中指は関節がごつごつしていて肉がない。最後にわたしは喉仏を見つけた。あの顔とあの髪から覗かせた、陰影しか見えないものの、喉仏があった。
男。男だった。可愛くて長い髪でわたしと同じ身長だけど、男だった。
すごく裸が見たい。どんな質感をしているのか。形をしているのか。
どんな声なのか。想像した。自由自在だった。
はやくうなじの匂いを嗅がせてはくれませんか?
そう感じてたまらなくなったところでわたしは自慰をした。じーっと見つめながら。あっちはこっちを見ていないからなんにも恥ずかしくない、見放題だ。わたしは一時的に満ち足りた気分になった。
わたしは欲深い人間だ。だからちゃんと本物に会いたくなった。
「今度、海でひろったとっておきの石を、好きなのをあげるから遊んでくれませんか?」誘った。きらきらしたりすけすけだったりざらざらしたりするすごい石を君にも見せてあげたいと思ったし、気に入ってくれそうだと思ったからだ。それにいい石を代償としてプレゼントすれば、こんな私でもすこしは許されるのではないかと考えた。渾身の口説き文句を送信し、怖くなって通知の音をオンにしてスマホを伏せて遠くに置いた。返信はわりかしすぐに来た。
「石、投げつけたりしない!?」
君はおどけている。わたしはふふっと笑った。これは少なからず喜んでくれているということではないか。嬉しくてそのときすこし踊ったりして、そんな場合じゃないと我に返って返信を送った。
「だいじな石にそんなことしたりしない!」
いやいやその前にだいじな可愛い君にそんなひどいことしたりしないよ!後から気づく。けどぐいぐい来るじゃん、と思われたくないから追加では送らなかった。わたしはそこから少しずつ君と約束を取り付けていった。
「労働場所はどこ?」
待ち合わせ場所を決める目的だとはいえ、君はようやくわたしにはじめて質問を投げかけてくれた。最初で最後の質問。うれしかった。そうか、会ってもっと仲良くなったら質問どころじゃない、いろんなことができるし、わかるんだ。どうしよう、夢みたい!夢みたいでほんとうに夢で終わりそう。ほんとうに会えるのかな。妙な気持ちになってきた。
約束は何日、何時、場所まで決められほぼ完成の姿を成した。あとは駅の何番出口の前だよ~とか噴水の前にいるよ~とか細かいことだけ。今決めるのは野暮だと思い、そこはそのときの状況に合わせようと思った。
「聞いて聞いて 月曜日しごとお休みだった
なので石みにいける」
「聞いて聞いて」からは君のテンションが上がっていることが読み取れるし、「お休み」ならなおさら「いける」ってことが強調されているのに
なのに、これが最後のメッセージだなんて誰が想像できた?
昨日、夢みたいだと思ったことが、この上なく素晴らしい伏線となった。
なるなよ。ここは小説や映画じゃない。伏線なんかいらない。ふざけるな。わたしの胸はざわついた。でもまだ泣けなくて焦った。ここで「どうしたの?」「おーい!」って送ってしまうあいつらの気持ちが痛いほどわかる。わかるけどそれをしたら負けだ。がまん。もしや返信が来ないのはアプリのせいではないかと疑い、すかさずApp Storeを見る。なーんだ、アップデート来てんじゃん!さてはお互いのバージョンが違うから受信できないんだな?速攻アップデートした。特に変化なし。わかってたけどまた焦る。催促するなんて野暮すぎる。今まで演出した「余裕」が水の泡だし、こっちが必死になるほど君は引くタイプだろうと予想していた。
しばらく様子を見よう。それまで毎日交わしていたメッセージが丸1日来ないなんてざらにあるよ。忙しかったり体調悪くてすぐ寝たりする日はある。
それから3日来なかった。考え倦ねた。わからない。どうしようもできない。
わたしも突然、直前になってぜんぶ嫌になることがあるので、その発作ではないかと気持ちを推測した。
「げんきなくなった?」
聞いてみたけど応答がない。ほんとうにげんきがないみたいだ。
ついに当日。約束した日から1週間が音信不通のまま過ぎ去り、その時は訪れた。はじめて男の子を口説いたもんだから失敗したんだと思った。1週間後の約束って、君には長すぎたね。もっと近々に約束すべきだった。これはわたしのミス。でもはじめてだったから仕方がない。って、まだ諦めるには早い。突然「げんきでた!」って言うかもしれないし、あるいは正直に「げんきなくなった」って教えてくれるかもしれないし、ちょっとおかしな人なら「もう噴水の前にいるよ」っていきなり言ってくるかもしれない。あらゆるパターンを編み出した。希望の光をもって想像したけど、そういえばわたしが想像することはたいてい叶わないんだった。そしてやはり叶わなかった。大まかに決めた待ち合わせ場所をうろうろしてみたけど、ロン毛のちいさい男は見当たらなかった。悔しくて悲しくて泣いた。
10月上旬18時半暑さが長引く今年の空は、泣き顔をぎりぎり隠してくれる暗さだった。
一緒に石を見ながら食べようと思っていたポッキーを信号待ちの間にむさぼり食った。会社の人にもらったやつ。砕いたアーモンドがほどこされてるやつ。お菓子パーティーするのかと思うくらいお菓子くれるもんだから一緒に食べてほしかった。こんな時でも腹がすく自分が愚かだと思った。こんなだから中1の時からずっとダイエットを続けてるんだ。
わたしはもぬけの殻だった。ひどく空虚な気分で傷ついた。この事実をわたしは君に伝えなければならないと思った。こんなひどいことしちゃいけないよ、って。だけどこんな時でもダサくなりたくなくて、当てつけの文章をじっくり考えた。なんて言おうか。君の心に響くように。でも別にあやまってほしいわけじゃない。
決めた。でも待ち合わせから30分も経ってないのに送るのは切羽詰まりすぎてる。もうすこし温めよう...見てもらえてるかもわからないのに一生懸命だった。今できることはこれだけだったから。
「会えなかった」
「もうすぐ27才になるのにちゃんと待ち合わせもできなくて泣いた」
19時を過ぎた頃、そっとこの2文を送りつけておいた。事実。君に会えなくて悲しくて泣いたんだよってわかってほしかった。可哀想に、なんて惨めなもうすぐ27になる女。こんな都会でこんなことしてる大人になるだなんて、つらいけど都会のネオンと無数の車のライトがわたしを感傷的に演出してくれた。泣きながらポッキーむさぼるとこなんて、まるでなんかのMVみたい。
それからのわたしは、生きがいを失ってからっぽだった。どうにもできないのにずっと君のことを考えていた。わたしは学生時代も今も、恋に落ちたことなんてない人間だった。だからひとりに夢中になることがこんなにも楽しいことだなんて知らなかった。「恋」とはこういうものなのか。楽しい分、ツケがすごいじゃないか。つらすぎるからできればやめたいのにもうやめられない。
君にどんな点でもいいから近づきたくて、プロフィールの趣味のタグにあったわたしの知らない単語を順番に検索した。君のこともっと知りたい。これは先に済ませておくべきだったな。そしたらミスしなかったかも。
音楽、最近はアマプラで手軽に聴けるからありがたい。通勤の徒歩40分の道のり、片っ端から調べていった。
「小林私」私だけど男なのか。しかもずいぶんしゃがれた男らしい歌い方で君が聴いてるだなんてすこし意外。歌い方は特徴的だけど歌詞はなんだか今時風な気がする。カッコいいけどわたしの共感生は低い。普段スピッツを主に聴くわたしにとってはなんだか若すぎる。いや、わたしがババアすぎる。調べたらまだこの子22才なのか。それでこんなしゃがらせて…可愛すぎるな。そして美しすぎる顔立ち。インスタをフォローした。
次、「Tempalay」なんて読むのか、てんぱれい、か。「21世紀より愛をこめて」聴いてみたら、ぐわんぐわん衝撃に打たれた。初回はなんだか薄い鳥肌がたってすこし慣れるのに時間が要った。わたしに聴けるのか?ぐわんぐわん甘美できもちわるくて心地よくて聴いたことないのにノリがよい。なんじゃこりゃ。ローファイ、サイケ、ポップ、ロック、なるほど...歌詞もよかった。いい具合に失望しつつ生きていて、でもそこに諦めはないし、自分に酔いすぎない程度に格好がついているこの加減。これは相当こじらせてるわたしにもなぜか受け入れられるものだった。(この加減とは大変難儀なもので、藤井風の「きらり」の場合、「なんてステキな歌!メロディー!あかるい未来!」と毎日聴きまくっていたのも束の間、突然「わたしを迎えに来る人なんて居ない。さいあく。わたしにこの明るさは眩しすぎる」と絶望に打ちひしがれたりする。遂には道を歩いている途中に泣き出したりしてしまう。)
Tempalayにはうまくハマってしまい、結果中毒となった。最初は君に近づくツールだったけど今では純粋に好きだ。CD買ったしライブのチケットももうとった。もし君に会えたなら...なんて思ってはいない。
わたしは会社から電車を使わず歩いて帰って、君のことを考える時間に使った。夜道、Tempalayを聴いてコンビニで買ったハイボールを飲みながらふらふら歩くのは、むなしいはずなのにもはや日々の楽しみと化していた。もっとよく考えたかったんだ、わたしは考えることが好き。
こんなにも傷心しているのは、果たして君のことが好きだったからなのか?好き?会ったこともない人を好きだなんておかしなことではないのか?自問自答を繰り返す。まず、君はほんとうに存在しているのか?その点が怪しい。実在するかどうかも確かめられていないのに君という人を好きというのは道理に合わないのではないか。じゃあ何が好きなのか?君の中身はまだ謎が多くてよく知らない。それなのに内面が好きというのも道理に合わない。じゃあ。じゃあ、わたしは、君の写真が好きなのかもしれない。人ではなく「被写体」として映る君の写真。趣味や会話した内容は付属品とした、君のあの写真が好きなんだ。わたしは妙に納得した。心が若干落ち着いた。
そしてわたしは、君に会えなくて苦しんだ代わりに、君にわたしの醜態を晒さずに済んで、それはそれでよかったと思えた。こんなデブで醜くて中身もクソなのに、あんなに調子に乗っていただなんて滑稽だ。(実際は、口説いたときもこの考えがよぎっていたけど、そのときは「人生は短いから勇気だそうぜ!」とか「夜は暗くて見えっこないさ!」などと自分を鼓舞していた。結論、都合のよいように処理していくしかないのである。)
夜、ベッドの中で、あのとき誘ったりしなかったらメッセージだけでもやりとりする時間が今ここにあったのかな、などとせっかくの偉大な勇気をけなしていた時。君の写真を凝視していると目に涙が溢れてきた。こんなに可愛いのに現実に愛でられないなんて。わたしは仕方がないから偶然ばったり君に出くわすシチュエーションを何通りも編み出していた。そればっかり考えていると、次は昔手放したお洒落の心がよみがえってきた。君に会うならお洒落しなくちゃいけない。古着やアクセサリーが大好きで、お洒落をすると強くなれた気がしたあの頃。なんだか若くてエネルギッシュな気分。きらきらしている。耳の軟骨にピアスを開けようと思った。突拍子もなく決定した。わたしは何を考えているのか誰にもわからない。でも「新生」とはきっと突拍子もなく訪れるものではないかと思った。わたしはわたしに抗いたくなかった。変化したい。
Tempalayに夢中で、まだ調べられていない君の趣味が他にもいくつかある。一気に調べたりはせずに、ちょっとずつ長く味わおうと思う。とっくにスクショに撮って保存してあるので永久不滅。と油断していた矢先、とうとうアプリから君のアカウントが消えた。これでほんとうに繋がりが消えてしまったんだ。そもそも繋がれてもいなかったが。
この事実はわたしを思った以上に悲しくさせた。これは夜20時前後のことだったと思うが、構ってほしくて鳴き止まない三毛猫を無視しながらわたしは号泣した。とうとうこの時が来てしまったか......泣きながらふと思った。たしか、画像検索なるものがあったよな?君の写真を画像検索で調べてみよう!早速、画像検索できるあるサイトを開いた。調べたい画像を選んでください、と表示された。わたしはすぐに君の白黒写真を選んだ。やっぱかわいいな、そう思っていると、
「グーグルによると類似の画像 グーグル 試合を表示」
???
おかしな日本語。ヘンな中華サイトに君の写真をアップロードしてしまったのか?!一瞬、ごめんと思ったが試合結果が知りたくてそんなことどうでもよくなった。
すると。なんと君の働いているお店のHPがでてきた。中華サイト、やるじゃないか。君は仕事とマッチングアプリと同じプロフィール写真を使っていてくれたのだ。わたしは一気に加速した。だって君の職場、本名まで知り得てしまった。そして非常にステキなお名前だった。わたしはそのお名前で君を呼んでみる。
仕事上ではあるがブログの記事(2件しかまだない)も読んだし、インスタグラムのアカウントまで発見した。16時間前に更新、君は同じ世界に実在しているようだ。よかったという気持ちと悔しさがこみ上げてきた。わたしとは遊んでくれないくせに。
隅々までインスタを見た。君の撮る写真は美しくて、文章は素直で澄んでいるものだった。嫌味なわたしはつくづく他人の文章におこがましさを感じることがあるがそんなものはなかった。誰かになりきってる感とかうわべっ面感がなかったからだと思う。ひいきではない。
一体、インスタグラムにいくらの賄賂を渡せば、君のインスタの「知り合いかも?」にわたしのアカウントを載せてくれるだろうか...どうにかフォローするようおすすめしてはくれないだろうか…。
わたしは続けて君の本名で検索してみた。すると今度は別の系列店に登録されている写真がでてきた。これは、なんとカラーだ!それまで白黒でしか見ることのできなかった君が、カラーになって現れた!この写真も同様、加工がされていて顔ははっきりわからないが、でもこれは膝上ぐらいの全体像がわかるし、どんな服なのかもわかる。思っていた以上に細くて、可愛い!!もしお店に行ったら会えるのかな...どんどん欲望が湧いて溢れる。でももしわたしが来たとバレたら...?いや、君はそこまでわたしに関心なんてないだろう、うぬぼれるな。でもバレたら?それこそほんとうに嫌われる。眼鏡かけていくか!計画を練り始める。
実行するか否か
今夜、軟骨にピアスをあけにいく予定。
新生のわたしが、今週の日曜日どうするか決めよう。