日記 12/6-12
日記(1日1回なにかしらを記すというルールに則っててきとうな文字が書かれたもの)
12/6
いつのまにか12月。
気がついたら12月。
ただ久しぶりに顔が見れたらそれで良かったみんなとイルミネーションを見に行けることになってしまった、12月。
もうダウンを着ないとさむい。
まだ息は白くない。
まだ暖房は必要ない。
もう、変わるのに手遅れなのかもしれない。
わたしがわたしの中でうじうじしている間にも、季節はちゃんと時間を忘れず季節をしているし、親せきの子は私の背を抜かした。
太陽は分けへだてなく光をふりそそぐが、わたしはまだ8月のときのように、日陰のほうを選んでいる。
私に見えない私の背中にはもう苔が生えているかもしれない。
やるべきことにも、やりたいことにも手がつけられない私は、私には、いったい何ができる?
1年後の私、教えてほしい。
あなたは、ちゃんと、光のほうを歩けていますか。
いつのまにか12月、だとか、思っていますか。
12/7
のどがいたいとき、どうしてこうも無気力になるのか。
買ったばかりの参考書は、すでにクロッキー帳の下に。
クロッキー帳も、ちぎられてはメモ用紙にされている。
伸びたえりあしを触りながらこれを書くわたしの指先はすこし冷えていて、こんなままだといつか胸まで霜がおりてしまうかもしれない。
早く冬になってほしかった私の想像をとびこえた今年の12月は、イルミネーション以外に何を見せてくれるだろう。
かんたんに想像できるみんなの笑った顔のほかに、何を見せてくれるだろう。
12/8
雲がひとつもない日のほうが、泣きたい気分になるきがする。
泣かないにはもったいない。
そんなふうに思う。
それくらい好きだ。
青と紅葉が好きだ。
頭の中の「いつか」に具体的な数字を持たせてあげると、1日のスピードが私にやさしくなった。
空に雲がないとき、時間の進みがわかりづらくなる。
わたしの心に雲はあるのだろうか。
12/9
この日記を書くとき、一度メモ帳にペンで書いてからデジタルに書き起すというむだな手間をはさんでいる。
アナログの良いところは、完全に消すことができないところだ。
いらないと思った箇所は上からぬりつぶす。
なかったことには決してできない。
迷って右往左往した足跡が、インクが、そこにきちんと染み込んでいる。
紙の上にしるべが立つ。
このページをめくることが二度となかったとしても、私が私の手でいくつもそれを立ててきたということが、いつかあかりになればいいなと思う。
12/10
私の中のいやな記憶がふいに顔を出すたびに、芋づる式で2,3個いやなのがついてくる。
一生忘れておくようにはきっとできなくて、それだけでもういやだなと思う。
けど、わたしたちの中のつらい記憶は、つらいだけではないのだろうと思う。
ほんのちょっとのちょっと、すきまを探して、そこにつらいではないなにかを見いだすことができるのではないかと思う。
それがこの文で、この文がすきまで、わたしはここで息継ぎをする。
12/11
明日はやく起きなきゃいけないから今日はもう寝ることにした。
1日ってほんとうに24時間もある?
会いたい人に会うときの1駅のほうが よっぽど長いんではないか。
そんなことはないか、言いすぎか。
明日の準備はばっちりなはずなのに、なにかをどこかに忘れてきているような焦燥感が、気づけばずっと前から巣食っている。
12/12
ただ早くより多く寝たい というのが絶対に揺るがないわたしの願いであって、それ以外のものはある程度の妥協を許せてしまった。
寝ることは生きることなのだ!
わたしにとっての夜は、生きる時間なのだ。
生きるのに休んでなどいられない!
今日もよく眠ろう。
明日も夢を見よう。
1週間ちょっとだけがんばったものを見てくださってありがとうございます。