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日記2本
路上飲み
渋谷の路上飲みが全面的に禁止になるそうだ。ハロウィンだけじゃなくなるんだ。確かに久々に渋谷の朝型に行った時、ゴミだらけで汚かった。
渋谷は仕方ないかな、とも思うけど、私は路上飲みが好きだ。といっても渋谷の路上飲みのような集団で呑むものではなく、一人で缶ビールや缶のハイボールを持って、フラフラと歩くのが好きなのだ。高円寺~阿佐ヶ谷間を毎日のように一人飲み歩きしていた。
調子がいい時は新宿から歩いたり、四谷から歩いた事も多々あった。電車で片道1時間の通勤時間の職場から歩いて帰っていた。3時間くらいかけて歩く。ダイエットになるかな、と言う気持ちで始めたけれど、途中で呑んでしまうのだ、酒を。
瘦せるはずもなかった。春や秋はほぼ毎日やっていたと思う。雨が降らなければ。
思春期の頃は町で缶ビールを片手に歩いているおじさんを嫌な気持ちで見ていたのに、今は立派に片手ビール街歩きおじさんだ。
大学生の頃、名古屋の都会の真ん中で、はだけた着物を着たおじさんが一升瓶片手に何か叫び声をあげていて、人波がおじさんの周りだけぽっかり空いていた。漫画に出てくる昭和のおじさんみたいで面白くてしょうがなかった。コギャルブーム終わりかけの当時も一升瓶片手の酔っ払いはちょっと時代的に古かったけども。たしか「ふざけんな、ばーろー。馬鹿にすんな」的な事を叫んでいた記憶。
汚い心が叫びたがっているんだ。
街でたまに見かけるアレな人って、みんな社会に不満を持っていて、だいたい「ふざけんなばーろー」「バカばっかりだ」みたいな事を今も昔も叫んでいる気がする。
一人で酒を飲みながら歩いていると、普段、周りの目を気にしすぎる程、気にして歩いている分、気分が大きくなり、どうせ酒飲みながら歩いているから変には見られてるだろうという気持ちで、なんだかあんまり人目を気にしなくなる。変で、何が悪いバーローって。
あの一升瓶おじさんの気持ちがわからなくもない。さすがに叫んだりはしないけど。
叫んだりはしないけど、落語をアマチュアでやっていた頃はよく落語を練習していた。左右に首を振りながら、ぼそぼそと小声で何か話しているから、頭のおかしい人に見られていただろう、と思う。
阿佐ヶ谷で落語を練習しながら歩いていて知り合いに会い「なにしてんの?」と聞かれたときは、「いやちょっと落語を練習してて」と言って、顔が真っ赤になって、そそくさと歩き去った。
一人飲み歩きの季節になってきて、コロナ渦を経て久しぶりにやろうかと思っている。コロナの頃に道で酒を飲んでいると、すごく睨まれたもんだった。手で酒を覆い隠して飲んでいた記憶。南行徳の方へ引っ越してきてからは飲み会帰りくらいしか、やっていない。街の空気感だろうか。阿佐ヶ谷高円寺近辺と違い、酒を飲みながら歩くのが気分的にはばかられる。
何を急に常識人ぶってやがんでぇと私は私に怒らそうな気がしないでもないけど、40半ばになってくると、なんだかちゃんとしなきゃいけない、ふざけてばかりもいられない、急に大人にならざるを得なくさせる何かがあるのだろうか。
真面目な話ばかりしている気がする。本来ふざけた人間なのに、周りが大人を強要する。一人で道で呑むくらい許してくれもいいじゃない。と誰にお願いしてるのか、わからないけど。
光の跡
星野源のエッセイ集「いのちの車窓から2」を読み終わり、とても豊かな気分だ。才能の塊すぎて、ずるい。いい音楽も作れて、演技もうまくて、文章もうまいし、おもしろいなんて。
人としても人格者なのが、文章からにじみ出ている。その分、苦悩も大きいんだろうけど、歌にのせられんだもんなぁ。ずるい。生半可な曲を作ってしまうと、手を抜いた事がバレちゃうプレッシャーはすごそうだけど。
常識的な枠じゃないところの、己の中の興奮のような幸福のような、自分軸の感動を目指していて、そこにとても共感してしまう。
自分の中で社会的にはダメだと言われている部分も、それを面白がってくれる人がいる。それだけで幸せな事だ。と書いていて、そう思うだけ、それを書いてくれているだけで、どこか救われた気持ちになる。
コロナ渦以降の社会が「クソだ」って言っていい。思っていい。て誰かに言われないと、私もどこか落ち着かなかった。「やっぱりクソだよね」て、誰かと共感できる事のなんと素晴らしい事か。そういう意味でも本の中に出て来るガッキーはとてもかわいい。ずるい。
本の中で、星野源さんはお世話になった近しい人が亡くなったそうで、その文章がなんだか詩的で私的で、とてもよかった。
近しい人が亡くなることが自分の身にも最近あり、あんなに豊かに表現できるんだ。と文才を羨んだ。
ただ悲しい、ただ寂しい。だけじゃなくて、その人がちゃんと生きていて、自分と関わってくれて、影響もうけて、その命が一つ消えた。だけってわけじゃなく、「光の跡」のようにまだその人の痕跡がある。という表現。光の跡。死をそんな表現にする事に私の価値観がぐるりと反転した。
友達が死んだ時に、ただただ、ひたすら悲しくて、寂しくて、もう話すことが出来ないんだな、と思うだけで心にぽっかり穴が空いて、泣きそうになってしまう。その友達のことも「光の跡」だと思うと、素直にありがとうと思える。わたしに関わってくれて「ありがとう」と。
それに影響されたこともあるっちゃ、ある。ある日その友達が「ほめる事にハマっている」と言い出して、親しい友人たちと集まって飲んでる時に、やたらと皆をほめちぎっていて、いやな気分がしないし、ほめるところがなくなると無理やりに「爪が切りたてですごい」みたいな誉め方をしはじめて、大いに笑った。しばらく影響されて、会う人会う人をほめるブームがわたしの中で始まった。今にして思えば、光の跡をつないで、光の道になっていたかもしれない。しばらくしたら、「うっせえバカ!ハゲとけよ」と悪口言い始めてしまったけど。
その友達とは気があって、よく朝方まで飲んでた。
一度、奄美大島は徳之島までその友達を含めて4人旅に出たっけ。
あの日、みんなで砂浜に行き、まぶしい日差しを浴びて、それぞれ4人ばらばらに過ごしていたのに居心地もよくて、楽しくてしょうがなかった。あの時のまぶしい光が私の脳裏に強烈に跡をのこしている。