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【デュエパーティー/統率者戦】多人数戦におけるシンプルな卓分け、「殺人/活人」の提唱
前置き
私はデュエパーティー(デュエパ)と統率者戦(EDH)のプレイヤーである。それぞれ3つくらいのコミュニティでプレイしている。(ただし大会、交流会等コミュニティ外部でのプレイ経験は少ない。)
それらのコミュニティでの経験を元に、シンプルかつ卓の分け方を提案したい。これは実際に私の所属するコミュニティでも使われている方法である。
もう使われないだろうから言うが、統率者戦の10段階のパワーレベル、あれは大嫌いだった。自己申告制で客観的な基準がないものを、10段階でマッチさせようとして、上手くいくだろうか?いっていただろうか?未だに私は私のデッキとプレイがレベルいくつなのか答えを持たない。
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晴れる屋が使っている4段階のレベル分け、あれはかなり素晴らしい。
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客観的に決まる指標と、己に嘘をつかなければ然るべきテーブルにつくことができ、指標や理念自体も一定の納得感がある。ブラケット制のベータテストが始まっているが、あの思想を受け継いだものになって欲しいものだ。いってつ氏には大いに期待している。
レベル分けは少ないほうが良い。
たとえば4人集まったのに、持っているデッキのブラケットが4432だったら、そのままゲームを始めてもなんとも釈然としない体験になるだろう。
1レベル差までなら問題ないという話もあるが、わだかまりはどうしても残りかねない。
デュエパーティーの3段階レベル分けでも自分はプレイレベル2.5とか言い出す奴がいるが、やめたほうが良いと思っている。それでプレイレベル2や3のプレイヤーに勝っても負けてもいまいちスッキリしないだろう。
ここからが私の提唱する、上記のような現状を打破する卓分け方法だ。
卓の区分について、私は2つで良いと考える。私、及び考えを共有するプレイヤーは「殺人卓」「活人卓」と呼称している。
元は、容赦なしのデッキを持ち寄ってゲームすることを殺人〇〇(殺人EDH、殺人デュエパ等)と言い出したのが始まりだったと思う。
それが卓募集の呼びかけに使われるようになり(殺人EDH募集とか)、その対義語としていわゆる「ガチ」でない募集に「活人」が使われるようになった(cf. るろうに剣心)。
殺人卓
いわゆる「cEDH」「レベル3デュエパ」という言葉と何が違うのか。
「cEDH」「レベル3デュエパ」には「最適化」されて「いなければいけない」印象がどうしてもある。「最適化まではしていないが、自分の今あるデッキで真剣勝負に挑みたい」プレイヤーが参加するのに気後れするのが懸念点だ。
対して殺人卓の理念はこうだ。「何をやっても許される」「何をされても許す」。
即死コンボだろうがロックだろうがランデスだろうが、それが自分のやりたいことなら誰にも遠慮せずやって良い。
デュエパではままあることだが、脅威となりそうなプレイヤーを早期に退場させるのも躊躇する必要はない。
そして、自分がやられる立場になっても、潔く受けよう。
泣き言、命乞い、デッキ批判、プレイ批判は恥ずべきことだし、耳を貸す必要はない。そのようなことをしてくるプレイヤーは殺人卓に参加する覚悟が足りない者として、石動雷十太(cf. るろうに剣心)と呼んで笑ってやろう。
当たり前のことだが、何をやっても許されるのは「ゲーム内で」の話だ。イカサマ、暴言、非紳士的行為は当然許されず、毅然とした態度でNOを突きつけるべきである。
活人卓
私はこちらのほうが「難しい」と思っている。なにせ「勝つため、やりたいことのために最適化する」という明確な目的がない。「自分も相手も楽しむ」のがゴールだが、対戦ゲームである以上、そこには衝突がある。
活人卓の理念は、プロレスに例えるのが良いと思っている。
プロレスは肉体を鍛えた格闘家同士が互いにぶつかり合い、勝利を目指す格闘技だが、それだけではない。観客は闘技者の鍛え上げられた力と、そこから繰り出されるド派手な技を見に来ているという「興行」の側面も併せ持つ。
内股一本、抑え込み一本で終わってしまうこともざらにある柔道などの競技試合とは違う。これはプロレスと柔道の優劣ではなく、そもそも目指すゴールが違うというのはわかるだろう。
活人卓においては、全てのプレイヤーは闘技者であり観客でもある。もちろんプレイヤーは勝利を目指して戦うが、自分のプレイで相手を驚かせ、楽しませ、また相手のプレイを受けて立つことが要求される。
面白いことが起きそうなら、泣き言も命乞いも大いに聞いてやろう。しっかり恩を着せて、倍にして返してもらうのを忘れずに。
対戦が終わったあとは、「楽しかった」ことを伝え、盛り上がろう。これは殺人も活人も関係ないが、感心したシナジー、採用カード、プレイングについて語り合うのがこのゲームの醍醐味だ。
どうしても「楽しくなかった」というときもあるだろう。それを我慢する必要はない。ただし周りには建設的に伝えよう。逆にアドバイスを得て、自分がデッキやプレイングを周りに合わせる必要があるかもしれない。相手がプレイや構築を考え直してくれるかもしれないが、期待はせずあくまで伝えるに留めることが肝要だ。
コミュニケーションを取り、コミュニティを育て、考え方を認め合っていけるならどんどんエキサイティングな体験をできる機会は増えていくだろう。
デッキパワーに差があっても歩み寄れば良い。どうしても合わないなら別のコミュニティを探すのも、いっそ自分で作るのも良いだろう。活人の道を維持するには参加者の貢献が必須である。
終わりに
多人数戦は面倒で退屈だ。まず4人もプレイヤーを集める必要があるし、自分が動ける時間は二人対戦の1/2しかない。事故を起こした日にはドロー、セット、ゴーとだけ呟いて終わることもあるだろう。
それでもこのゲームをやりたい奴同士なのだから、多少の思想の違いはわかり合えるはずだ。この記事がその一助になれば嬉しい。良き多人数戦ライフを。