【4/2】5.6年ぶりの舞台
5.6年振りの舞台に立った。
ラスタ池袋、いわゆる地下ライブ。
お客さんは12人ほどだったか。
5.6年前の最後の舞台は大阪で、特にその時“最後”と思ってなかった気がする。
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同級生コンビの解散はどんな感じだったか..
じわっと離れた感じがする。
その時は2人とも若かった。
なんて今の自分がすごく老けてしまう言葉を使いたくはないが、実際若かったと思う。
その若さゆえのトガリから解散が起こった。
相方、ユウタは芸人で舞台に立つ傍ら、役者としても舞台に立っていた。
ネタを書くのはぼくで、その間の時間の有効活用にと始めた役者だった。
ユウタは売れればそれで良いと割り切れてる奴。
コレは決して冷たい奴ってことではなくて、すごくまっすぐな奴って意味だ。
売れないまま4年くらい経っていて、でも別に楽しくはやれていた。
でも、相方が舞台でネタを飛ばした時に、“役者の方では台本覚えられるはずなのに..”と言う思いがふつふつと湧き上がり、グツグツと煮詰まった際に言ってしまった。
なんて言ったかはっきり覚えてはいないけど、ぼくから言った解散へと導いてしまう言葉。
“ネタ飛ぶなぁ、役者していいって言ってたけど、どっちかにした方がいいんちゃう?”
ってな流れから
“中途半端になるなら解散の方がいいと思う”
そんな感じだったと思う。
中崎町のライブを終えた、夜、自転車での帰り道。
鶴橋でルームシェアして2人暮らし、そこから1人友達を追加して3人暮らし。
途中、彼女の家で寝ることがほとんどになったボクは最終的に家賃だけを入れていた。
そんな状態のルームシェアも解散きっかけで解体することに。
僕たちはコンビでずっと仲が良くて、常に一緒にいた。
それは芸人が始まる前からで、高校時代も、互いの家の前まで送っていっては、自分の家の方にも来させ、結局その中間地点でバイバイするような、そんな感じだった。
バイト先も一緒だった。
芸人の先輩が紹介してくれたバイト先に相方を誘い、一緒に働いた。
休みの日も、買い物に付き合ってもらったりだのした。
それが今ではSNSで動向を見るくらいだ。
といっても、ボクは誕生日にLINEギフトを贈ったりはするけども..
とにかく会わなくなった。
すごく哀しい。
ミスったとつくづく思う。
あのまま続けていたら売れていたかどうかは、それはわからない。
でも楽しかっただろうなぁと、それだけは思う。
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ユウタはすごくて、その後もずっと1人で頑張っていた。
結果、カンテレでドラマが決まったらしい。
おめでとう。
同期の芸人も、頑張り続けてて奴はどんどん芽が出てきてて、賞レースでも優勝したり、テレビにも出て来ていて凄いなぁと思う。
ボクは何もしていない。
それを思い知らされるようで、すごく辛い。
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芸人を、コンビを解散してすぐの頃..
それまでネタ作りやネタ合わせに使っていた時間がすっからかんに空いてしまったので、ラジオを始めた。
バイト先の人に出演してもらって、その会話をただ垂れ流すだけのラジオだ。
頑なにPodcastでやろうとしてたけど、今思えばコレもYouTubeでやった方が良かったなぁ。
とにかく日々成長だけはできるようにと、ラジオにイラストにブログ..
とにかくその時間を無駄にしないように努めていた。
結果出来上がった、いわゆる器用貧乏。
出るのはため息だけだ。
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くるくる日々は流れて、コロナと共に去年の2月に東京へ来て、ボクの人生史上一番無駄な一年を過ごした。
Uberで自転車漕ぎまくっただけの一年だった。
生きるために自転車を漕ぎまくる、まさしく自転車操業。
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そんな日々にも変化は訪れるもので..
秋口、久々に友達とご飯に行った。
その時に、ボクを一番面白いと言ってくれた。
辞めたことをすごく残念に思ってくれていた。
辞めたくて辞めたわけじゃないと言い訳して、逃げていた。
逃げたまんまダラダラと自転車を漕いで、芸人のラジオを聞いて、面白いなぁ、おれもこんなんしたいなぁって思っていたのに、逃げていた。
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そこから漫才をひたすら研究する日々が始まり、春、なんとなくTwitterで「相方募集」と調べてみた。
そして出た舞台が今日のラスタ池袋だったのだ。
結果は散々、まぁウケなかったけど..
やっぱり漫才は楽しかった。
高校の文化祭でウケてしまったところから、相方に火がついて、そいつの火がボクに移った。
その呪いの炎はまだ逃してくれないようだ。
貧乏生活が続く。