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定年後も一流のバイプレーヤー。小野氏の視座と人間力

自治体の課題と、スタートアップ・民間企業とマッチングするオープンイノベーションプラットフォームUrban Innovation JAPAN(アーバン イノベーション ジャパン)。前回は代表理事の吉永氏をインタビューした。Urban Innovation JAPANは『正しいことを正しくやる人』が集まるという。その秘訣を知るべく、今回はプロジェクトマネージャーでもあり、広報関係なども多数担当している小野耕一氏に焦点を当てた。

右:Urban Innovation JAPAN プロジェクトマネージャー 小野耕一
左:Stick Out.c 澤田千佳(企業パートナー)

◆多くの出場機会を得るために。身に付いたジェネラリスト力


―ご経歴を教えてください。

新卒で関西の民間放送局(民放)に入社して、そこから33年在籍しました。最初は情報システムの仕事をして、番組のホームページを作成する部署に移り、その後に広報宣伝を担当しました。そのため、メディアといえど派手な仕事ではなく、バックヤードで表舞台を支える仕事がメインでした。

―なぜUrban Innovation JAPANにジョインされたのでしょうか?

私は早期定年退職をしたのですが、50代に入ったころから、「65歳までこの業界で働くのは難しいな」と思いまして。自分はわりとどんな仕事でも楽しめるタイプではあるけれど、民放勤務一筋で65歳を迎えた時に、その後できることってかなり限られてきます。なので、自分のこれまでのキャリアが使えて、且つこれから経験を積ませていただけるとしたらどこでお仕事をしてみたいか、その点を鑑みてUrban Innovation JAPANの採用面接に応募しました。

―長くいらっしゃった大手民放からまったくの別業種に転職って、かなり思い切った決断をされましたね。

もともとインターネットが出てきたときに「民放はこのままトップランナーではいられないぞ」という、確信めいたものはありました。当時からIT業界の方々とやりとりする業種でもあったので、iモードはおろか、携帯すらない時代から、次のメディアの展開にワクワクとドキドキがあったのを覚えています。この先、ものすごいスピードで世の中が変わっていく中で、自分は何ができるか。そう考えた時に、ていねいなハンドリングと伴走が必要な地方での仕事や行政さんの取り組みに、自分がやりたいこととの親和性を見つけました。だから、Urban Innovation JAPANに入ったのは、ごく自然な流れだったと思います。

―小野さんの冷静な判断力と分析力が伺えます。その一歩引いた目線は、どのように培われたものなのでしょうか。

おそらくですが、自分の生い立ちが要因かと思います。幼稚園の時に、祖父が癌で闘病をしていて、家族がみんなで寝ずの番をしていたことがありました。当時小さかった私は、親せきの家に預けられていたんですね。その環境下でよく周囲を観察するようになりました。そのうち、自然と立ち振る舞いに気を付けるようになり、人の言動をよくみて、自分の立場や状況を俯瞰する癖がついていきました。今思うと、かなり冷静な子供だったと思いますね。

―なるほど。小野さんは、いつも適切なタイミングで、とても良い塩梅のコメントをしてくださるので、空気を読む天才だと思っていました(笑)

ありがとうございます(笑)例えばリーダーがいない時はリーダーぽいポジションをやったり、その場その場で必要なポジションをやったりできるような、ジェネラリストを目指してはいます。その方が、出場機会が多いので。

―多様なご経験から、マルチな動き方ができるのでしょうね。ちなみに、そんな小野さんからみて、Urban Innovation JAPANならではのプロジェクトマネジメントにおける難しさはありますか?

例えば、通常のサービスの場合、いわゆるターゲットやクライアント層みたいなものは概ねあるじゃないですか。でもUrban Innovation JAPANの場合、それがない(笑)自治体さん側も、ITに慣れていらっしゃる方もいれば、初めての方もいて、企業さん側もだれもが知っている大手が参加されることもあれば、創業前の1人代表の場合もある。状況が本当に毎回違う。そこがUrban Innovation JAPANでプロジェクトマネジメントをする上で難しさでもあり、肝でもあると思っています。


◆“ちゃんとやる”と“正しくやる”は違う


―その多種多様な環境で、『正しいことをやり続ける』って、非常に難しく思います。

そうですね。例えば、まだ体制が整っていない団体さんとやりとりする場合、申請とか案件までの工程とか、『ちゃんとやる』が、できないこともあります。そういう時、もちろんチェックリストなどでやることを丁寧に確認しながら進めていくものの、状況によっては大企業同士だと常識的な『ちゃんとやる』契約書締結や申請などスムーズにできないこともあって、その場合は、譲歩してもうところと、絶対に締めなきゃいけないところなど、デリケートな判断が必要になりますね。

―難易度が高いですね。Urban Innovation JAPANで大切にしているのは、そういう広義な意味での『正しいこと』なんですね。

いやぁ、難易度高いですよ。自分が出来ている!とはとても言えないです。でも、吉永さんたちを見ていると、例えば、様々な背景の方がいらっしゃるミーティングで、ずっと引いて観察していると思いきや、一言で状況を好転させたり、細かいことは言わないのに、ふわ~と全体を同じ方向に促したり。しっかり着目しないと気付きにくいことではありますが、なかなかすごいファシリテーションが見られることがあります(笑)

―プロジェクトの参加者に多様性がある場合、みんなのモチベーションを保つことは非常に大変な気がしました。

応募される企業さんも自治体さんも、Urban Innovation JAPANに参加される以上、モチベーションが最初から低いってことはほぼないのですが、たまに思惑が当初の想定から違っていてテンションが下がってしまうってことがあって。例えば、ありがちなのが、次年度に必ず導入してもらえると企業側がはなから思いこんでいるケース。本来は実証実験の結果をもって、導入の可否を判断するべきですが、そこの認識が違っていると、1年目は安くお試しいただいて2年目以降で本実施できます!という、ただの初回割引パターンの営業スタイルになってしまいます。そうならないように、最初の段階で、双方の期待している内容をはき違えないように捉えて、身のある会話ができるような状態に持っていくことがとても大事になります。

―双方に対して翻訳する仲介者のような役割ですね。

そうですね。しかも言葉をそのまま翻訳するだけではうまくいかなくて。例えば、「IT化を進めよう」というフレーズひとつでも、それだけだと「仕事が減らされる!」と思う人がいて、拒否反応が出たりもする。もっと、IT化されることで自分の時間がここまで余裕が出て、もっと本質的なことに時間とお金が使えるから、そういう未来のためにIT化しようよ!ということを、ちゃんとワクワクを交えて伝えることが重要じゃないですか。Urban Innovation JAPANでのプロジェクトマネジメントは、そういうスキルも必要だなと思います。

―言葉そのものの翻訳でなく、ビジョンまで伝えるのはとても高度ですね。ちなみにご担当されたプロジェクトで印象的だった案件はありますか?

もちろん全部が全部、「実証実験後に街単位で状況がよくなったね」ということはないですよ。市民の心までつかんで、街を変えるのは並大抵ではないです。一朝一夕ではできない。でも、自分が担当させてもらった山口県の阿武町のプロジェクトでとても理想的な展開がありました。阿武町さんは、聴力が弱い方とのスムーズなコミュニケーションを課題にされていて、筆談で限界があるところをITの力で何かできないかと思っておられました。その時に声を上げてくれたのが愛知の自動車部品の製造メーカーである株式会社アイシンさんで、福祉系の事業ではないのですが、もともとハンディキャップのある方の雇用に積極的で、聴力の弱い従業員さんのために、独自で音声認識アプリを開発されていました。それを阿武町でも展開できないかとご応募いただき、採択がされました。
実証実験後、これは使いやすいということで、どんどん浸透しているようです。
参考:アイシン「ワイワイシステム」(2023年グッドデザイン賞受賞)

―まさに社会課題の解決として、すばらしい事例ですね。

さらにうれしいのが、同じようなサービスを提供できる会社が市場に出てきて、ちゃんと需要を奪い合いしているということです。一社独占するのではなく、何社かが競争することで浸透する量も増え、質も上がり、解決に向けて非常に貢献できるムーブメントになっていきます。今は、病院や役所の受付など、スムーズなコミュニケーションが必要な場所を中心に広がっているようです。

―そのムーブメントのきっかけとなったのがUrban Innovation JAPANだったのですね。



◆変化することはいいこと。必要とされる存在であるために。


―現状、小野さんからみてUrban Innovation JAPANの課題はありますか?

Urban Innovation JAPANって、良くも悪くも新しい取り組みなんですよね。今のかたちがこの先もずっと正解とは限らない。常に今のスタイルがベストであるか?は考えておかないといけない事業だと思っています。神戸を皮切りに、4年ほどやってみて今はもう年間で10くらい、合計20以上の自治体さんが参加してくださる規模になりました。けれど、普通の会社のプロジェクトと違って、ただ数を増やしていけばいいかというとそうではない気がしていて。街の課題をすべてUrban Innovation JAPANのスタイルで解決するのは無理なので、そういう意味でも、他のサポート方法や事業展開の構想は必要なのだろうなと、思っています。

―今後の小野さんのビジョンを教えてください。

世の中の変化が非常に激しいので、Urban Innovation JAPANもそれに倣って変化していくのが正しいと思っています。Urban Innovation JAPANが成長していく過程にずっと自分がいられたらうれしいですが、もし長くはいられないとなったときには、どうやって自分のキャリアを畳んでいくかを考える必要もあるのかもしれません。でもだからこそ、自分がどうすれば世の中の役に立てるのかを、その都度しっかり俯瞰して考えて、需要にそった存在でいれるよう、努めていきます。

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―インタビューを終えて―
小野氏の『正しいこと』として、全体最適化という言葉が浮かんだ。どうすればものごとが良くなるのか、良くなるため自分はどう動けばいいのか。彼のプロジェクトマネージャーとしての高い視座と謙虚さが、Urban Innovation JAPANで重宝されている所以に思う。今後もUrban Innovation JAPANにおける哲学性を紐解いていく。

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プロフィール
小野耕一 Urban Innovation JAPAN プロジェクトマネージャー
1965年生まれ、兵庫県尼崎市在住。大学で電子工学を学んだ後、1988年関西の民間放送局に入社。情報システム、デジタルコンテンツ運用、宣伝、報道などの部門を経て2021年3月に早期定年退職。同年4月にNPO法人コミュニティリンクに参加。

澤田千佳 Stick Out.c
化粧品や女性向け商材のプロモーションプランナーを経て、街づくり関連のプロデュースに転身。現在フリーで企業ブランディングと、産業×町おこしの企画プロデュースを行っている。


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